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似鳥昭雄さん

 今日の朝日新聞土曜版‘be on Saturday’にニトリの似鳥昭雄さん(63歳)が載っています。似鳥社長は、私が北海学園大学経営学部で聴講させていただいているニトリ寄附講座のスポンサーで講師でもあります。似鳥社長の講義は毎回立ち見がでるほど盛況でとても有意義です。私が尊敬する経営者です。
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 朝日新聞の記事です。
 話し好きだ。
 「幼いころから、いつもニコニコしていました。いいことがある、とお袋に教えられて」
 父はコンクリート業、母はヤミ米屋。小学生のころから米の配達を手伝ったり、親類がつくった漬物を売り歩いたりした。勉強は大嫌い。大学受験に失敗し、短大から4年制に編入した。熱中したのがアルバイト。体育会系の学生を雇い父の会社から基礎工事を請け負った。
 「これがいい稼ぎになった。学生に払っても、手元には2、3人分の賃金が残る。学費はすべて自分で払いました」
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 大学卒業後、就職した広告会社が肌に合わず、始めたのが家具店だった。まだ23歳。周りには競争相手もいないのに赤字の連続だった。1食15円の即席ラーメンで済ます生活が続き栄養失調に。見かねた母の勧めで8回目の見合いで結婚した。
 「お袋が言いました『結婚すれば従業員を雇わなくても済む。一石二鳥。三鳥だよ』」
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 1967年12月、100万円の元手で始めました。相手にしてくれる問屋を見つけるのにも苦労したほど前途多難な創業でした。黒字には月に最低70万円の売り上げが必要なのに、数ヵ月間は30万~40万円と悲惨な状況でした。
 ところが、翌年、結婚した家内が商売がうまかった。お得意さんが次第に増え、1年後に年1千万円、次の年は2千万円の売り上げがありました。結婚3年後には2軒目の家具店をオープンしましたよ。
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 1972年秋。「似鳥家具店」は大型家具店進出のあおりを受けて売り上げが大幅に減少、倒産の危機に立たされていた。その前年に借金して2軒目をオープンしたばかり。銀行はもう貸せないと言い出していた。
 家具業界向けの米国・ロサンゼルス研修ツアーに参加したのは、そんな時期だった。
 「このままいけば、来年春には確実に倒産する。逃げるか死ぬかしかないと思っていた。どうせつぶれるならと、ダメもとだった。あの時、米国に行かなかったら、すべて終わっていたかもしれない」
 米国では、見るもの聞くもの何もかもが驚きだった。家具の安さだけでなく、家具がトータルコディネートされ、ファッション感覚に富んでいた。日本は半世紀は遅れていると感じた。
 「本当に豊かな住まいを実現するため、家具のチェーンストアづくりを目指したい」
 帰国して銀行の支店長に思いのたけをぶつけると、支店長決済をはるかに超える資金を貸してくれたという。
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 毎年、500人以上の社員を米国に派遣し、研修を受けさせている。米国人の豊かな暮らしを実感し、経営スタイルを学んでもらうためだ。
 「大切なのは常に課題を抱えることです。小魚の群れに巨大な魚が飛び込んだ場面を想像してください。危機から逃れるため動きが速くなる。それと同じです。社員も緊急を要する課題を抱えると、スピードを上げて乗り越えようとします」
 子どもは大手印刷会社に勤める長男(37)とニトリ勤務の長女(28)がいる。
 「息子は入社させません。後継者とみられて派閥ができるから。長女が社員と結婚したら?
 夫には会社を辞めてもらいます。創業者に2代目は必要ありません」
  いかにも似鳥社長らしいコメントです。ますますファンになりました。6月21日のニトリ講座が楽しみです^^

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