医学講座

数学と医学

 医学部の入試で、数学が難関であることを書きました。
 私は、中学時代も高校時代も数学が得意科目で好きでした。
 高校1年の数学は、原田先生という、北大理学部数学科卒の先生でした。
 授業中に、北大の学生生活のお話しをしてくれて、私もいつか北大に行きたいと思ったものです。
 私の記憶が正しければ、原田先生も、北大恵迪寮(ケイテキリョウ)にいらした筈です。
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 普通の高校数学レベルでしたら、誰でもあまり苦労せずに学ぶことができます。
 ところが、医学部の入試レベルになると、途端に難しくなります。
 特に、札幌医大の数学は、‘変な問題’が出ていました。
 数学者には、面白い問題なのかもしれませんが、普通高校の受験生には難しかったです。
 一つの問題を何時間考えても、解(カイ)はでませんでした。
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 私は、数学の勉強法を誤りました。
 公式を覚えて、ある程度教科書レベルの練習問題をすると、高校の定期試験は合格点がもらえました。
 ところが、札幌医大の入試問題には、手も足も出ない問題がありました。
 私は、数学にはある種の‘ひらめき’が必要だと思っていました。
 確かに、同じように問題を解いていても、瞬間的に素晴らしい解を見つけられる人がいました。
 そのような人は、生まれつき特別な思考回路を持っていると思っていました。
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 私の高校・予備校時代には、旺文社の大学受験ラジオ講座という番組がありました。
 北海道では、STVラジオで早朝に放送されていました。
 それを、テープに録音して、聴いていました。
 私が好きだったのが、数学鉄則ゼミの寺田文行(テラダブンコウ)先生です。
 早稲田大学理工学部の教授でした。
 寺田先生の数学は、難解な問題をいとも簡単に解いてしまう‘鉄則’が売りでした。
 札幌予備学院では、年に一度くらい、寺田先生の特別講義がありました。
 当時、札幌で有名な先生の講義を聴講できるのは夢のような話しでした。
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 大学受験ラジオ講座では、もう一人、有名な先生がいらっしゃいました。
 勝浦捨造先生です。この先生は、東北大学助教授から、代々木ゼミナールの副校長になられました。
 勝浦先生の数Ⅰは、奇抜な問題はなく、基礎的な問題をこつこつと解くやり方でした。
 決して諦めてはいけないということを繰り返し述べられていました。
 医学部向けの数学にしては、簡単すぎましたが、私は毎回聴いていました。
 数学が苦手で嫌いだった友人が、勝浦先生のラジオ講座で好きになり、数学の成績がUPしました。
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 勝浦先生が亡くなられた時に、新聞のお悔やみ欄に掲載されました。
 私は、その切抜きをしばらく捨てられずに保存していました。
 放送では、解説よりも激励が多かった勝浦先生でしたが、解答集には丁寧な解説がついていました。
 毎年、最後の放送では、旧制三高(京都大学)の寮歌、逍遥の歌【紅萌ゆる岡の花(クレナイモユルオカノハナ)】を歌われました。
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 私が数学の勉強法を間違ったと気付いたのは、予備校の時でした。
 数学者になる人は別として、医学部受験レベルの数学は、難しい問題を何問解いたかという‘経験’だと気付きました。
 勝浦捨造先生が、『いいですか、どんな難問でも、同じ問題を13回解いてごらんなさい。必ずできるようになります。』と言われたお言葉を、今でも覚えています。
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 医学も経験がものを言います。
 どんなに頭の良い先生でも、自分の経験に勝るものはありません。
 難しい病気も、難しい手術も、良い指導者について経験を積んだ先生が、いとも簡単に治すことができるようになるのが医学です。
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 受験の数学で、医学に一番役立つのが、ミスをしないという、確認作業の繰り返しです。
 数学はどんなに、立派に問題を解いても、最後に+と-を間違えると、零点です。
 『注意一秒、ケガ一年』。私が予備校時代に考えた言葉です。
 最後に確認しないで、一問、間違えると、また一年浪人が待っているという意味です。
 臨床医学の現場では、ちょっとしたミスも許されません。
 受験の数学で繰り返し確認するという習慣は、35年後の今でも役立っています。
 センター試験まで、あと一ヵ月です。受験生のみなさん元気で頑張ってください!

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