昔の記憶

パイロットへの夢

 以前にも書いたことがあります
 私が高校生の時になりたかったのは、
 パイロットでした。
 大空を飛んでみたいという…
 単純な少年の夢です。
 一浪した時に、
 運輸省航空大学校の入学試験を受けました。
 北大農学部が試験会場でした。
 一次試験は秋にあった記憶があります。
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 英語の試験問題に、
 ライト兄弟の話しが出てきました。
 さすが航空大学校だなぁ~
 と思ったのを今でも覚えています。
 当時は高校卒で受験資格がありました。
 現在は規則が変わって、
 ①4年制大学に2年以上在学し、全修得単位数が62単位以上。
 ②短期大学又は高等専門学校を卒業した者。
 ③専修学校の専門課程の修了者に対する専門士及び高度専門士。
 となったようです。
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 ライト兄弟の英語ができたからか?
 航空大学校の一次試験には、
 運よく合格できました。
 2次試験(身体検査)が
 東京の慈恵医大であるので、
 東京まで来るようにという通知が来ました。
 当時、東京まで行くのは、
 函館から連絡船に乗り、
 列車で行くのが受験生の主流でした。
 航空運賃は高く、
 貧乏だった私たちには高嶺の花でした。
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 ちょうどその頃、
 航空大学校の練習機が、
 仙台空港で事故を起こしました。
 父親に2次試験のことを話したところ…
 事故のこともあり、
 2次試験に行くのを諦めました。
 視力は2.0だったので自信がありましたが、
 はっきり言って‘体力?’には、
 あまり自信がありませんでした。
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 オッサンになってから、
 大手航空会社の国際線の機長になった友人を見ると、
 私の体力でも大丈夫だったかなぁ?
 と思いました。
 もう一つの懸念材料は、
 航空大学校を卒業しても、
 航空会社に入社できない卒業生がいたことでした。
 私くらいの年代は、
 ちょうど大量輸送時代に入る過渡期でした。
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 田中角栄首相が、
 ロッキード社とトライスターという航空機を、
 全日空に納入するのにお金をもらったとか?
 そういう時代でした。
 ジャンボ機ができたのも、
 そのあとでした。
 私たちの少し前には、
 パイロットになったけれど…
 就職できないので…
 もう一度大学に入学して、
 学校の先生になった人もいました。
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 私の高校の同期には、
 大学に入学後に、
 航空会社が募集した、
 自社養成のパイロットとなり、
 大手航空会社の幹部パイロットもいます。
 今と同じようにオイルショックがあり、
 トイレットペーパーが街から無くなった時代でした。
 私も、もし航空大学校に入り、
 無事に卒業していたら…
 おそらく就職できたと思います。
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 当時は父親の判断で、
 航空大学校を諦め、
 再び、医学部への道を進みました。
 それが正しかったかどうか?
 どちらが幸せだったか?
 なんてことは考えても仕方のないことです。
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 ある時、
 パイロットになって、
 国際線を飛んでいる友人に言いました。
 『オレ、パイロットになりたかったんだ』
 機長の友人は
 『オレは医者になりたかったんだ』
 人生なんてこんなものかも?です。
 医者もパイロットも大変です。

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