昔の記憶

麻酔科研修の想い出⑤

 札幌医大麻酔科の高橋長雄教授は、
 麻酔学の他に、
 医学概論(いがくがいろん)という科目を
 担当されていました。
 医学概論は…
 医学部へ入学した学生に、
 お医者さんになるには…
 とか
 医師としての心構え…
 を教える科目です。
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 高校生や予備校生に…
 毛の生えたような…
 まだ解剖実習も始まらず…
 医学生とは言えないような時期に授業がありました。
 偉い先生が何人か交代で、
 数回の講義がありました。
 講義をしていただいた先生には、
 大変申し訳ございませんが…
 どんな内容だったか?
 覚えていません。
 ただ一つだけ覚えていることがあります。
 高橋先生が麻酔科医を志(こころざ)した理由です。
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 高橋先生は、
 北大医学部をご卒業後に、
 外科医を目指されました。
 当時の北大で外科学を学ぶ傍(かたわ)ら、
 薬理学教室で研究をされました。
 外科医として…
 北海道内のある町へ
 出張された時のことだそうです。
 その町の若い方が…
 盲腸(急性虫垂炎)になりました。
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 町の病院で…
 盲腸の手術をしました。
 ところが…
 不幸にもその患者さんが、
 亡くなってしまったそうです。
 時代は昭和20年代のはじめ、
 戦後の混乱期です。
 十分な設備が無かったのかもしれません。
 手術に問題があったのか?
 麻酔の問題だったのか?
 その辺のこともわかりません。
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 町では、
 『病院で盲腸の手術で死んだ』
 と評判になったそうです。
 当時でも、
 盲腸で死ぬのは…
 珍しいことだったのです。
 小さな町です。
 札幌から来た若いお医者さんは…
 すぐにわかります。
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 高橋先生は、
 患者さんが亡くなってから、
 町の食堂へ食事に行っても…
 買い物へ行っても…
 町の人の視線が…
 ずっと気になった。
 とお話しくださいました。
 町の人が何か話していると、
 すべて…
 ‘盲腸’とか
 ‘盲腸で死んだ’
 に聞こえたそうです。
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 6年間の医学部の講義で、
 自分が体験した医療事故の話しを聞いたのは、
 高橋先生の盲腸のことだけでした。
 おそらく今でも…
 自分の医療事故を講義で話す先生は、
 どこにもいないと思います。
 まだ19歳か20歳程度だった私は、
 『ふ~ん、そんなことがあるのか?』
 程度にしか思っていませんでした。
 今、自分が50歳も半ばとなり、
 そんな高橋先生をすごい!と思います。
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 一人の患者さんの死をきっかけとして、
 高橋先生は麻酔学をこころざし、
 若くして渡米され、
 ニューヨークで麻酔学を研鑽されました。
 私が生まれた頃の話しです。
 帰国後に、
 先生は麻酔学教室を開設され、
 多くの優秀な麻酔科医を育てられました。
 私は高橋先生から麻酔学を学んだことを、
 とても貴重な財産だと思っています。
 高橋先生と、
 高橋先生の下で研修することを許していただいた、
 恩師の大浦武彦先生に心から感謝しています。

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