昔の記憶
釧路労災病院の想い出②
私たち北大形成外科の研修医は、
医局の人事で北海道内の病院を点々と回りました。
昭和57年(1982年)は
3ヵ月毎に、
形成外科メモリアル病院→
美唄労災病院→
北大病院→
釧路労災病院→
北大病院
といった具合でした。
■ ■
大学医局の人事でも…
各病院をその都度‘退職’して、
新しい病院へ‘就職’しました。
退職理由は自己都合退職でした
私こと
この度、一身上の都合により…
という退職願いを
自筆で書いて提出しました。
当時は自筆で書く意味も、
出す理由もわかりませんでした。
■ ■
各病院での待遇は、
お給料を含めて病院ごとに違いました。
一番お給料が安かったのが…
北大病院でした。
北大病院の当直料を合わせても…
月に15万円もいただけませんでした。
足りない分は…
月に数回の‘出張’と
当直のアルバイトでまかないました。
■ ■
地方の病院へ行った時は、
北大病院より高給でした。
3ヵ月単位で移動した時には、
ボーナスはありませんでした。
釧路労災病院にはじめて勤務した、
1982年12月に、
職員にボーナスが支給されました。
私にはボーナスは出ませんでした。
確か…土曜日だったと思います。
■ ■
病院から帰ってきて…
近くのイトーヨーカドーに買い物に行きました。
帰って来ると…
家の中に足跡がついていました。
泥棒でした。
泥棒は、
私にボーナスが出ないことを知らずに、
私の家のお風呂場から侵入しました。
居間のテーブルの上に…
私が忘れた財布がありました。
■ ■
その私の財布から、
現金1万3千円を抜き取って…
(がっかりして?)
玄関から逃走したようでした。
戸棚には、
現金3万円程度がありましたが、
そちらは取られませんでした。
警察に被害届を出しました。
■ ■
札幌ナンバーのカローラがなくて、
家の電気が消えていれば…
留守を泥棒に教えているようなものでした。
でも…
さすがの泥棒も
研修医の先生にボーナスが出ないことは…
ご存知なかったようです。
警察は巡回警備を増やしてくれました。
でも、家内は不安だったようです。
私は…
ボーナスも出ない先生の家には
もう来ないと思うょ!
と話していました。