昔の記憶

釧路労災病院の想い出②

 私たち北大形成外科の研修医は、
 医局の人事で北海道内の病院を点々と回りました。
 昭和57年(1982年)は
 3ヵ月毎に、
 形成外科メモリアル病院→
 美唄労災病院→
 北大病院→
 釧路労災病院→ 
 北大病院
 といった具合でした。
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 大学医局の人事でも…
 各病院をその都度‘退職’して、
 新しい病院へ‘就職’しました。
 退職理由は自己都合退職でした
 私こと
 この度、一身上の都合により…
 という退職願い
 自筆で書いて提出しました。
 当時は自筆で書く意味も、
 出す理由もわかりませんでした。
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 各病院での待遇は、
 お給料を含めて病院ごとに違いました。
 一番お給料が安かったのが…
 北大病院でした。
 北大病院の当直料を合わせても…
 月に15万円もいただけませんでした。
 足りない分は…
 月に数回の‘出張’と
 当直のアルバイトでまかないました。
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 地方の病院へ行った時は、
 北大病院より高給でした。
 3ヵ月単位で移動した時には、
 ボーナスはありませんでした。
 釧路労災病院にはじめて勤務した、
 1982年12月に、
 職員にボーナスが支給されました。
 私にはボーナスは出ませんでした。
 確か…土曜日だったと思います。
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 病院から帰ってきて…
 近くのイトーヨーカドーに買い物に行きました。
 帰って来ると…
 家の中に足跡がついていました。
 泥棒でした。
 泥棒は、
 私にボーナスが出ないことを知らずに、
 私の家のお風呂場から侵入しました。
 居間のテーブルの上に…
 私が忘れた財布がありました。
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 その私の財布から、
 現金1万3千円を抜き取って…
 (がっかりして?)
 玄関から逃走したようでした。
 戸棚には、
 現金3万円程度がありましたが、
 そちらは取られませんでした。
 警察に被害届を出しました。
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 札幌ナンバーのカローラがなくて、
 家の電気が消えていれば…
 留守を泥棒に教えているようなものでした。
 でも…
 さすがの泥棒も
 研修医の先生にボーナスが出ないことは…
 ご存知なかったようです。
 警察は巡回警備を増やしてくれました。
 でも、家内は不安だったようです。
 私は…
 ボーナスも出ない先生の家には
 もう来ないと思うょ!
 と話していました。

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