医学講座

どんどん生き続けよう

 平成25年2月28日、朝日新聞朝刊、
 ひとときへの投稿です。
 どんどん生き続けよう
 2月11日付の「ひととき」欄(東京本社版)で、23歳の医学生が書いた「長生き願うほどの何か」を読み、私が長生きしたいわけは何だろうかと考えた。
 明治生まれの私の母は、100歳の誕生日の数日前に亡くなった。昔気質のしゅうとめに仕え、6人の子を育てあげた。私の高等師範学校の卒業式に出席し、「これ以上の幸せはない」と言ってくれた。母が生きるよすがにしていたのは好奇心と、人に何かしてあげることだったと思う。新しい料理にも挑戦し、晩年も医師に止められるまで、家族や知人に100足近い毛糸のソックスを編んでいた。
 私も、母の好奇心のDNAを確実に受け継いでいる。目下は、一人暮らしに挑戦中。杖を頼りの生活だが、母のように最後まで自立して生きたい、好きな俳句を詠み続けたいというのが、長生きしたい一つ目の理由だ。
 そして二つ目は、悲惨な戦争を体験した者として、二度と戦争はしたくない、させないという思いで生きている。この国の行く末を見届けるためにも、政治家に何と言われようと、命ある限り生き続けたいと思っている。若い人も、どんどん生き続けてほしい。
 (三重県松阪市 神戸道子 無職 83歳)
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 私も「長生き願うほどの何か」を読みました。
 その投稿を引用します。
 平成25年2月11日、朝日新聞朝刊です。
 長生き願うほどの何か
 「100歳まで生きてみたいと思う」
 医学生として学ぶ私が、研究を指導してもらっている43歳の医師は、ふとそんなことを言った。
 「1世紀生きたら社会がどう変化しているかを見てみたいから」と先生は言う。生きることに対する前向きな姿勢が見えた気がしてうれしく思った。
 別の日に、36歳の先生に同じ話をしてみた。
 「100歳は生きたい。そうやって年を経るからこそ持つことができる人間性の深みがあると思うから」
 そんな話をしながら考えた。私はどうか。
 23歳の私は、明日死んでもいいと思っている。もちろん死にたいわけではなく、自分の未来に希望は持っている。ただ今日1日が最後だと思って、毎日を大事に生きたいだけだ。
 先生たちは30歳になったころから、100歳まで生きたいと思うようになったそうだ。ならばきっと、先生たちは20代の間に、100歳まで生きたいと思うほどの何かを見つけているはずだ。
 私は、その何かを見つけることができるだろうか。見つけるために、30歳までは生きたほうがよさそうだと思い始めた。
 (茨城県つくば市 梶川奈月 大学生 23歳)
 (以上、朝日新聞より引用)
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 正直に申し上げますと…
 58歳の私は…
 100歳までは無理だと感じています。
 あと何年診療や手術を続けられるかなぁ~
 …ということは最近よく考えます。
 耳の永田先生のように元気な先生もいますし、
 南雲先生のように同年代とは思えない先生もいます。
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 私は今日の投稿者、
 神戸道子様と
 お母様はなんて素敵な女性だろうと思います。
 高等師範学校ですから、
 先生か教育職のお仕事だったと想像します。
 好奇心と、人に何かしてあげることだったと思う。
 …が元気で長生きの秘訣のように思います。
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 23歳の医学生さんも…
 毎日を大事に生き
 自分の未来に希望は持って
 …いただきたいと思います。
 人に役に立てることは、
 最高の生きがいであり、
 自分の楽しみだと私は思います。
 三重県松阪市の神戸道子様、
 どうぞお元気で100歳を迎えてください。

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