昔の記憶

石炭ストーブの思い出

 一年の半分以上は暖房が必要な北海道。
 暖房の仕組みも変わりました。
 私が子供の頃は、
 石炭が暖房の主役でした
 どこの家からも、
 SLのように黒い煙が出ていました。
 昔の札幌は石炭を燃やした煙で、
 冬にスモッグが発生していました。
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 今の中国で起きている、
 大気汚染と同じです。
 ただでさえ日照の少ない冬に、
 煙が太陽の光を遮っていました。
 冬に青空はなかったのです。
 石炭は重くて、
 運ぶのも大変でした。
 とにかく石でしたから、、、
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 炭鉱に住んでいた私たち
 石炭が無料でした。
 馬車に乗ったおじさんが、
 石炭を運んでくれました。
 美唄でも夕張でも、
 石炭は馬車が運んでくれました。
 その上、炭鉱の住宅は、
 電気も水道も無料でした。
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 亡くなった祖母が、
 石炭がただなのはいいねぇ~
 …とよく言っていました。
 その代わり、
 ただの石炭は、
 火をつけるのが難しかった記憶があります。
 子どもが石炭ストーブに火をつけることはありませんでしたが、
 薪を使って火をつけていました。
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 うまく火がついても、
 ストーブが赤々と燃えるまでに時間がかかりました。
 ストーブに石炭を入れることを、
 石炭をくべると言いました。
 石炭をストーブに入れるシャベルを、
 じゅうのうと言いました。
 でれっきという金の棒もありました。
 でれっきで石炭をつついて、
 ストーブの中の石炭を調節していました。
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 北海道の人が、
 部屋の温度を暑くなるまで高くするのは、
 調節が難しい石炭ストーブの影響もあると思います。
 とにかく一度消してしまうと、
 簡単に再点火ができませんでした。
 温度調節はもっと難しかったです。
 今のようにSW一つで、
 24℃とかに設定できるなんて、
 昔は考えられませんでした。
 石炭ストーブは昭和40年代まではふつうでした。

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