医学講座

南相馬に産声が戻ってきた

 平成28年3月11日、朝日新聞朝刊、【】の欄への投稿です。
 南相馬に産声が戻ってきた
 医師 山本佳奈(福島県 26)
 東日本大地震から5年。私は南相馬市立総合病院の初期研修医だ。産科医になりたくて、昨年から産婦人科で研修している。
 信じがたいかもしれないが、当院の分娩(ぶんべん)数は震災前に戻りつつある。いや、抜きそうな勢いだ。震災前は年間で220件だった。震災後、いったん0件になった。2012年度に分娩が再開されて93件に。2013年度は167件、2014年度は183件で、今年度は200件を超えた。
 里帰りして出産される若いお母さんがいる。南相馬に住み、2人目、3人目を産むお母さんも。
 お産を支えているのは、たった一人の常勤医と福島医大の非常勤医師だ。病院では、お産だけでなく外来や婦人科の手術もある。手術の助手やお産の立ち会いをしていると、一日はあっという間に過ぎる。
 震災が起きた年に全く聞くことができなかった産声が、再び病院内に、南相馬に響き渡っている。そんな場に立ち会えていることを、心から幸せに思う。
(以上、朝日新聞より引用)

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 東日本大震災から5年です。
 今朝のTVでも震災の報道をしていました。
 津波の映像も見ました。
 なかなか復興が厳しいという報道もたくさんあります。
 その中で、
 山本佳奈先生の投稿を見て、
 とても嬉しく思いました。
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 南相馬市立総合病院の初期研修医
 立派な総合病院です。
 でもこの立派な総合病院でお産を支えているのは、
 たった一人の常勤医と福島医大の非常勤医師
 ほんとうに大変なことだと思います。 
 たった一人の常勤医と非常勤医師で、
 年間200例のお産はすごいです。
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 常勤医の先生は、
 家に帰っても、
 休むひまがないのでは?と思います。
 産科医はそれほど過酷な重労働です。
 若い初期研修医の山本佳奈先生が、
 産科医になりたくて、
 昨年から産婦人科で研修している

 うれしい声です。
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 産科医冥利
 2007年10月29日の院長日記です。
  メディカルトリビューンという医師向けの新聞に、日本産婦人科医会会長
 浜松医科大学長の寺尾俊彦先生のエッセイが掲載されていました。
 産科医冥利(ミョウリ)という心に残る文章です。少し長いですが、一部をご紹介します。
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 今、日本の産科医療の崩壊が始まったと言われている。毎年数千人単位で医師数が増加していくというのに、産婦人科の人気は低迷していて、残念なことに、産婦人科の医師数はむしろ減少傾向にある。
 産科に携わる医師数が少なければ安心・安全な産科医療ができない。その増加が喫緊の課題になっている。
 産科医には昼夜の区別がなく、宿命的とも言える宿日直がある。宿日直明けにも激務が待っている。
 我々はこんな生活を当たり前として受け止めていたが、今の学生には耐えられないことと映るらしい。
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 一旦、産科医になってしまうと、「こんなに楽しい診療科は無い」と異口同音に産科医は言う。私もこれを実感してきた一人である。産科医になって50年近くになるが、年を重ねるにつれ、産科医になって良かったとしみじみ思う。
 赤ちゃん誕生の感激は勿論、その赤ちゃんの成長も楽しみである。
 成長ぶりを写真で知らせていただいたり、その子の結婚式に招いて下さることもある。年賀状には孫ができたとの便りも多くなった。
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 産科医の楽しさ、良さを、私たちはもっと学生に伝える必要があると思っている。そこで、その二、三の例を紹介したい。
 先ず、産科医冥利につきると思ったこと、話は40年前に遡る。当時、私は名古屋大学医学部附属病院に勤務していた。
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 ある日、浜松から患者さんが診察にみえた。幼いころ、脊柱が湾曲する病気にかかり、身長が中学生位の方だった。
 大学で福祉の勉強をしたという、とてもかわいらしい女性である。卒業後、高校教諭と結婚したが、出産はあきらめていた。どの産婦人科医に尋ねても無理とのこと。
 しかし、愛する夫の子がどうしても欲しいと遂に名古屋まで来たという。
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 正直、私も無理かと思った。子宮が大きくなるにつれ腸の行き場がなくなり食事ができない、また、背骨が痛むのではないかと心配した。
 しかし、話をしているうちに、この方の明るさと前向きな姿勢なら、ひょっとしていけるかもしれないと思うようになった。
 結局、浜松から名古屋まで通っていただき、帝王切開で無事、男の子が誕生した。更に数年後には女の子が誕生した。
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 ある日、「私のことが新聞に載っているから見て下さい」との便りをいただいた。
 読売新聞社の「心に残る医療」体験記コンクールで、この方の「大丈夫。頑張りましょう」が厚生大臣賞に選ばれたという記事であった。
 また、数日後、その新聞の一面コラム欄(読売手帳)に、この体験記と私のことが紹介され、最後に「長男は医学部に進んだが、患者思いの医師になることだろう」とあった。
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 連絡したところ、長男は名古屋大学医学部、妹は南山大学の学生であるという。
 この長男が卒業後2年間の研修医期間を終え、私たちの産婦人科教室に入ってくれた。さらにまた、結婚し、私たち夫婦が仲人をさせていただいた。
 最近、この夫婦にも赤ちゃんが誕生したが、将来きっと素晴らしい医師になってくれるに違いない。
(以上、メディカルトリビューンより引用)

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 当直が多い、
 訴訟が多いと、
 産婦人科は医学生や臨床研修医から嫌われることがあります。
 山本佳奈先生のように、
 一人でも多くの産婦人科医が誕生してくれたらと思います。
 美容外科では絶対に経験できないことです。
 山本先生と南相馬市立総合病院産婦人科
 安部宏先生のご活躍をお祈りしています。

“南相馬に産声が戻ってきた”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    父の友人が個人で産科を開院してました。
    一緒に飲んでも
    絶対にアルコールは飲まなかったそうです。
    いつ、お産があるかわからないからです。
    きっと飲むお店も看護師さんに知らせてたのでしょうね。

    母と私が10年以上
    お世話になってた先生の引退をほのめかされた時
    母が、先生やめないでくださいよ。
    と言ったら
    医者冥利につきますよ。
    と言われたそうです。

    今日は多忙で2時頃、
    震災の日に気づきました。
    テレビをつけたら、5年経って
    益々悲しみがこみ上げてくると
    お子さんを亡くされたご両親が
    語っていて私は涙が出ました。
    今、又思い出して泣いてます。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。震災で身内が亡くなられた方にとっては何年たってもつらい日です。ご冥福をお祈りしています。

  2. さくらんぼ より:

    震災から5年 亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに いまだ身内が見つからない方々、避難所で暮らしておられる方々が一日も早く元 の生活に少しでも近づけるようになる日が来ることを願っています。 産婦人科、婦人科は妹が7ヶ月入院していたので少し事情がわかりました。 看護師さんも不足していてみんなくたくたでした。癌治療中 、赤ちゃんの泣き声がとても癒やされ、見に行ったそうですが、赤ちゃん連れ去りなど防止のため見れないそうです。手術して下さった女医さんは術後間もなく寿退社で青森に、いろんな先生に変わり今も検査の度に違う先生だそうです。多分大学からいらしているのでしょう。 本間先生も事故で顔面が傷ついた女性を手術し 結婚されたという写真のハガキをいただいた時は すごく嬉しかったと思います。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。覚えていてくださりありがとうございます。残念なことに産科医冥利を書いてくださった寺尾俊彦先生は、2012年10月21日にがんのために76歳でご逝去されたとネットに書いてありました。産科医になってくれる若い先生が増えてくれることを祈っています。

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