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救急当直

 昨日の日記に市立札幌病院救命救急センターが素晴らしいと書きました。
 私が市立札幌病院に勤務したのは平成元年から平成6年まででした。34歳の若い医師でした。当時の写真を見ると、自分でも若いなぁ~と思います。
 私は皮膚科の所属でしたから、救急の当直はしませんでした。もっぱら救急の先生から呼ばれる役でした。
 最初は、形成外科専門医は私一人。救急部に北大形成外科の後輩にあたる先生が一人いました。
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 救急部の当直医は3人でした。ファースト、セカンド、サードと呼ばれていました。研修医でも、ある程度できようになるとファースト当直に当たるようになります。
 当直は私の記憶では24時間勤務でした。朝から次の日の朝まで、救急部に搬送される重症患者さんの主治医になります。
 ‘運がいい’先生は、あまり患者さんが来ず、平穏無事に過ごすこともありましたが、極めてマレでした。
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 消防指令や他病院から連絡があり受け入れを決めます。救急車の到着5分前になると救急ホールの電話が鳴りました。医師も看護師も緊張の瞬間です。薬剤を注射器につめて、処置器械を準備して待っています。ピーポーピーポーが聞こえてきて、病院近くになると音を止めます。救急車が到着し電動シャッターが開きます。
 搬送されて来た患者様は心肺停止状態。すぐに気管内挿管をして、中心静脈へカテーテルを入れます。
 心臓が原因、脳が原因、多発外傷、自傷、中毒、重症感染症などなど。とにかくさまざまな患者様がいらっしゃいました。
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 ファーストの先生が形成外科医が必要と判断されると、研修医や私が呼ばれました。
 私は34歳でちょうど医師になって10年目でした。それまでの10年で数例しか経験しなかったような重症外傷を、何例も立て続けに経験しました。
 その当時は、札幌市の3次救急は、市立札幌病院と札幌医科大学で分担していました。市立札幌病院には‘一流’の重症患者が次々と搬送されていました。
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 ファーストの救急医は、自ら処置をして、他科の応援が必要であれば要請します。検査技師への依頼。手術室の手配。家族への説明。クタクタになるまで働いていました。
 手術が終わっても容体は安定しません。翌日も引き続き処置や検査です。形成外科の研修医も、救急のファースト当直に当たると、中毒や腹部外傷なども担当していました。
 自分の専門外は専門の先生に相談して決めます。もちろん救急のカンファレンスもあります。救急のスタッフも充実していました。
 現在、北海道大学医学部で救急医学講座を担当していらっしゃる、丸藤(ガンドウ)教授も当時は市立札幌病院にいらっしゃいました。
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 私が担当させていただいたのは、顔面外傷、四肢の軟部組織損傷、熱傷などです。
 救急医の中には、過労で病気になってしまった人もいました。一度、ファースト当直で重症患者さんを引き受けると、一週間も家に帰らない(帰れない)先生もいました。
 救急の先生は信じられないくらい働いていたと思います。
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 救急医療にはお金もかかり、人もたくさん必要です。
 もし自分の大切な人が、急に倒れてしまったら何としても助かって欲しいと願います。救急の現場で働く医師が、自分が働いてよかったと思えるシステムを作るのは、実は大変なことです。
 札幌を日本一安心で住みやすい街にするために、救急の先生も院長(事業管理者)も頑張ってくれています。

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