昔の記憶
ギプスカット
私の腰から下はギプスで固められました。
石膏でできたギプスはセメントのように硬く、びくともしませんでした。
白いギプスはそのうち汚れてきます。
石膏のギプスが直接肌に当たらないように、綿のようなものを巻いてからギプスを巻きます。
この綿が次第にボロになってきて痒くなります。
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私が形成外科医になってからは、私が患者さんにギプスを巻きました。
患者さんの中には、ギプスに落書きをする人もいます。
○○ちゃん、頑張ってね!
はやくよくなりますように!
若い方だと、○○愛してるぅ~!なんてものありました。
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私の腰についたギプスに落書きが書いてあったかどうかは覚えていません。
とにかくギプスの中が痒いので、一日も早くギプスを外して欲しかったのを記憶しています。
箸でつついて、痒いところを掻くのも限界でした。
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いよいよギプスカットの日が来ました。
私はギプスが外れるのを楽しみにしていました。
子供心に、ギプスはどうやって外すのだろうと思っていました。
イヤな予感は当たりました。
ギプスをカットするのは、手品で腕を切断する時に使うような電動ノコギリでした。
担当してくれたのは、一番怖い看護婦さんでした。
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「キーン」という金属音をたてて、ギプスカッターを持った看護婦さんが言いました。
「動いたら、足が切れちゃうよ!」
私はビビリました。本当に足が切れると思いました。
「イヤだイヤだ」
「ギプスなんか切らないで!」
「ボク、痒いのもがまんするから!切らないで!」
(ここは私のフィクションですがこんなことを言ったと思います)
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お腹の近くを切る時は、必死にお腹をへこませた記憶があります。
足の部分を切る時は、オシッコをちびりそうになりながら必死にじっとしていました。
ある程度切ったら、大きなペンチのような道具で、バリバリとギプスを開きます。
とうとうギプスが割れて、パッかぁ~んと私の腰とチンチンと脚が出てきました。
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実は、ギプスカッターは電動ノコのような形ですが、刃は本物の電動ノコのように回転せず、振動するだけです。
ですから、もし当たったとしても、少しキズができる程度で、ノコギリのように切れたりはしません。
でも、本当に手品で使うように足が切れると思いました。
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私は、たとえ子供でもちゃんと説明してくれて、『これは音が怖いけれど、脚は切れないからね』と言ってくれたらよかったのにと思います。
札幌医大の学生の時に、小児麻酔の講義を、田宮恵子先生という小児センターの先生から習いました。
田宮先生は、子供でも、ある程度話しがわかる子は、大人と同じように説明して不安をとってあげるのがよい。とお話しされました。
自分の経験から、さすが小児センターの先生は違うものだと思ったのを覚えています。
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田宮先生はとても優秀な小児麻酔医でしたが、病気で他界なさってしまいました。
でも、私の中では、田宮先生のお話しはずっと生きています。
形成外科医になってからも、ある程度の年齢に達して、話せばわかるようになった子供には、必ず子供の目の高さで話して説明していました。
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辛いことがあった入院生活ですが、5歳の時の記憶が50年たっても生きています。
大学で講義を聴いても、自分が体験したことはよく理解できますし忘れません。
ペルテスになったおかげで、私は入院生活の辛さや退屈さを経験できました。
病気はありがたくないことですが、自分が病気で入院した体験は何ものにも勝る医学教育だと思います。