昔の記憶

お医者さんごっこ

 私が子供だったのは、昭和30年代です。
 日本は戦後の混乱から、高度経済成長の時代に入っていました。
 ‘三丁目の夕日’は、昭和33年(1958年)の東京の下町が舞台として設定されています。
 私が育った、札幌郡手稲町も、三丁目の夕日と同じように、隣近所が親しくお付き合いしていました。
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 子供の遊びは、近くの雑木林でドングリを拾ったり、当時流行っていた、月光仮面のマネをしたり、チャンバラをしたり…。
 女の子は、おままごと遊びをして、それに加わったり…。
 ごく普通の子供の、ごくふつうのあそびでした。
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 ただ一つ違っていたとすれば、‘お医者さんごっこ’だと思います。
 病院職員の子供ばかりの集団です。お医者さんごっこも、ふつうの子供より知識がありました。
 子供は、お父さんと同じ職に就きました。
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・マーちゃんがお医者さん。お父さんは小山先生。
・はるみちゃん(マーちゃんの妹)が看護婦さん。お母さんが元看護婦さん。
・ひろすけちゃんが事務長さん。お父さんは小林事務長さん。
・まさるちゃんがレントゲン技師さん。お父さんは、レントゲン技師の草野さん。
・私が薬剤師。父は薬剤師。
 患者さん役が誰だったか?どうやったか?は覚えていません。
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 お医者さんのマーちゃんが‘診察’をして、看護婦さんのはるみちゃんが介助します。
 レントゲン技師のまさるちゃんがレントゲンを撮ります。
 注射は、看護婦さんのはるみちゃんが担当。
 薬剤師のケンちゃんは、マーちゃんが処方したお薬を作ります。
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 私は、土を集めて、サラサラにして、お薬を調合。
 木の葉っぱに包んで、「はい、お薬ができました」という係りでした。これは今でも覚えています。
 私はこの薬の係りが好きでした。
 少し大きめの葉っぱを集めて、さらさらにした土を、おままごとの皿に入れて調合しました。
 看護婦さんの、はるみちゃんが「はーい、お口を開けて!」と飲ませるマネをしていました。
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 お医者さんは、血も見なければいけないし大変だから、自分は薬剤師でよかった!と子供心に思ったのを覚えています。
 マーちゃんのようにお医者さんになりたいとは、まったく考えていませんでした。
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 子供たちは、親が働いている療養所へ遊びに行っていました。
 マーちゃんとはるみちゃんは、お父さんのいる医局へ。
 私は父がいた薬局へ行きました。
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 薬局には、今のような分包器(粉薬を紙の袋に入れる器械)はありませんでした。
 薬包紙という薄い紙を、調剤台の上に並べて、そこへ父が乳鉢で調合した薬を手際よく配分していました。
 怒ると怖い父でしたが、その時は子供心に『お父さんすごい!』と思いました。
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 その他に錠剤を作る器械があり、ゴットンごっとんと動いて錠剤ができていました。
 子供にとっては、イスと机と本しかない医局(お医者さんの部屋)よりも、いろいろな薬や器械がある薬局の方が楽しみでした。
 私は注射が嫌いでしたし、手術なんて考えただけで血の気が引いていました。
 その頃から考えると、よく形成外科医になったものです。
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 子供は地域が育てるものと言われます。
 親から教えられることの他に、近所のお兄さんお姉さんからもたくさんのことを教えられます。
 私の兄貴分はマーちゃんでした。マーちゃんは面倒見がよく、妹や私とよく遊んでくれました。
 私の一生の中で、手稲で過ごした7年間はとても貴重なものだと思っています。マーちゃんに感謝しています。

ソリを引くのがマーちゃん
その後ろが妹のはるみちゃん
最後尾が私(ケンちゃん)です

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