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吉野家①
昨日、北海学園大学のニトリ講座で、吉野家の安部修仁社長の講義を受講してきました。
私はヨシギュウが好きです。並盛とポテトサラダを注文するのが定番です。東京へ出張へ行った時もよく利用していました。
男が一人で入りやすく、価格も手ごろです。うまい、安い、早いのが好きです。
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安部修仁社長は1949年9月14日生まれ。矢沢永吉さんと同じ誕生日だそうです。
福岡県出身で音楽を志して上京。1972年(昭和47年)に、吉野家へ学生アルバイトとして勤務。正社員に昇格し、社長になった方です。
吉野屋は、1899年(明治32年)に東京日本橋の魚河岸で創業しました。当時、東京の台所は日本橋にありました。
大阪から上京した、松田栄吉さんが屋台ではじめたのがはじまりです。その後、魚河岸が築地に移り、現在も吉野家築地店として残っている店が発祥の地です。
松田さんの出身地が、大阪吉野町だったので‘吉野家’になりました。
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魚河岸の朝は早く、夜明けとともにはじまり、正午過ぎには終わってしまいます。
築地市場で働く人たちは、食のプロばかりです。味にうるさい大勢の人たちが、長靴のまま店に入り、短時間で食事を済ませます。
すべての動きが通常の3倍速。ビデオの早送り状態で、注文し、牛丼が出てきます。
吉野家のクイックサービスは築地市場で培われ(ツチカワレ)ました。
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築地市場は、限られた人たちだけが集まる場所です。
今でこそ外国人観光客の観光スポットの一つですが、当時は、朝から激しい動きをする大勢の人たちだけのclosedな世界でした。
吉野家の特徴は‘繰り返し食べても飽きが来ない後味’。
‘うまかった!また来よう!という食後感’です。
これは築地市場という閉鎖されたマーケットで、‘いつものお客さん’の満足度を高めなければ生き残れない環境で育まれ(ハグクマレ)ました。
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創業店といえども、大きな店ではありません。10坪もないような小さなお店です。客席は15席もありません。
この小さな店で、午前5:00~正午までに、約1000人のお客さんが来店します。
早さや、客席回転率は並みのものではありません。
常に満席で、中には立ったまま食べるお客さんもいらっしゃいます。
安部社長でも、築地店の店長は大変だったそうです。
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築地店のリーダーは、お客さんが店に入った瞬間に(注文が出る前)、牛丼を作ります。
お客さんの顔とオーダーを一人ずつ覚えていて、席に着いたらすぐに(たのんでもいないのに)注文通りの牛丼が出てきます。
入店からわずか5~10秒で牛丼が出てくるのは、世界一です。
この早く待たせないというスピードがお客さんへの一番のサービスです。
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安部社長おすすめのメニューはプレーンです。
頭の大盛(アタマのオオモリ)を一度注文してみてください。
ご飯の量は普通で、具だけ大盛です。このオーダーが出ると、‘この人はプロだ!’と店は緊張するそうです。
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吉野家は1980年7月15日に会社更生法を申請して倒産しました。
2003年12月24日には、米国BSE感染問題が報じられ、看板の牛丼を提供できなくなりました。
2006年9月18日に牛丼が復活するまで950日間の牛丼ブランクがありました。
波乱万丈の吉野家について、少しずつ書いてみたいと思います。
ヨシ牛が食べたくなりました。今度は頭大盛をオーダーします。
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