昔の記憶

床上排泄

 床上排泄(ショウジョウハイセツ)と読みます。
 ベッドの上でオシッコもウンコもすることです。
 ペルテス病になった5歳の私は、札幌の愛育病院に入院しました。昭和34年11月のことです。
 大腿骨という、太ももの骨の病気です。そのままだと、歩けなくなります。両親は焦ったと思います。
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 愛育病院は昭和32年8月に開設されました。財団法人小児愛育協会附属愛育病院。
 病床数32床、小児科、皮膚科、整形外科、耳鼻咽喉科の病院でした。
 北大医学部小児科の2代目教授、弘 好文先生を中心に地域の小児保健問題の研究と解決、及び育児指導を目的として小児総合病院建設の構想の下に作られました。
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 愛育病院へ入院した私は、まず腰から下のギプスをつけられました。
 大腿骨頭にかかる負荷を減らす目的だと思います。
 子供だった私は何と説明されたかは覚えていません。ギプスをつける時に暴れたので麻酔をかけられたような気もします。
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 ギプスは石膏でできているので、子供の私が暴れたところでびくともしませんでした。
 パンツの代わりに、セメントでできたズボンをはいているようなものです。
 オシッコとウンコをするために、チンチンのところとおしりには穴が開いていました。
 当然のことですが、トイレには行けません。
 ギプスをつけたその日から、ベッドの上でオシッコもウンコもしなくてはなりません。
 5歳の子供でも、これには参りました。
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 オシッコは尿瓶(シビン)でできるからまだマシです。
 問題はウンコでした。
 ウンコをする時は、カーテンをして他の子供から見えないようにしてしました。
 いくらカーテンをしても、臭いは容赦なくカーテンにこもります。
 5歳の男の子でも、クサイにおいには閉口しました。
 同室の子供から、ウンコ臭いなんて言われようものなら、ウンコが出なくなりました。
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 ウンコが出なくなるとお腹が痛くなります。
 ウンコがイヤでお腹が痛くなるので、食事も進みません。
 骨の病気で入院したのに、ウンコが最大の苦痛でした。
 子供の病院なので、同室者は子供ばかりでした。
 他の子供は、小児科の患者が大部分でした。
 ペルテスは私一人で、他の子供たちは元気に遊び回っていました。
 私だけ、24時間ベッドの上でした。次第にストレスが溜まりました。
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 同室の子供たちは腎臓病の子が多かったように記憶しています。
 食事の時間になると、『腎臓さんの食事ですよ!』と、腎臓病食がその子供たちに配膳されました。
 食事の時間は、私が優位でした。腎臓病の子供は、醤油が食べられませんでした。
 私はご飯に生卵をかけて食べられましたが、腎臓病の子は生卵に醤油をかけられませんでした。
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 病院で入院患者の部屋割りを決める時は、男性は男性。女性は女性。あかちゃんはあかちゃん。学童は学童と分けます。
 私は小学校入学前だったので、男の子も女の子も同じ部屋でした。
 自分の経験から、男性と女性は無理としても、できるだけ同じ病気の子が同じ病室で過ごせるとよいと思います。
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 たとえば乳癌が専門の病院があります。
 同じ部屋に術前の患者さんと術後の患者さん、新入りの患者さんがいらっしゃいます。
 私たち医療従事者が説明するよりも、先輩患者が自分の体験を元に‘説明’してくださると、実に安心することがよくあります。
 ベテランの看護師長は、ベッドの割り振りや部屋割りがとても上手です。
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 私は約一ヵ月入院しましたが、小児科の子供と仲良くなった記憶はありません。
 24時間、ベッドの上で、お風呂も入れない生活は苦痛でした。
 ギプスはつけたままなので、次第に痒くなります。
 ギプスの中が痒くても手や指は届きません。
 お箸で痒いところを掻いた覚えがあります。
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 5歳になると、入院していたことや辛かったことはよく覚えています。
 形成外科医になってからも、植皮術の後に床上安静が必要なことがありました。
 私は、5歳の時の体験から、できるだけ早くウンコだけはトイレでしてもらうように配慮していたつもりです。
 この他にも、自分の入院体験は役に立っています。また別の日に続きを書きます。

昭和35年1月の私です。
左下肢につけているのが装具。
(コルセット)です。

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