昔の記憶
私の交通事故
私は帯広厚生病院に勤務していた時に、交通事故に遭いました。
病院からの帰り道で、右後方から右折して来た、
1ナンバーのランドクルーザーに轢かれました。
ちょうど、帯広厚生病院の裏にあった、JRの高架工事をしていました。
ただでさえ、見通しが悪い交差点なのに、
高架工事で、ますます見通しが悪くなっていました。
■ ■
私も注意して交差点を横断していました。
気づくと、自分のすぐ左後方にランクルがいました。
とっさに、身をかわしましたが、
左足が残りました。
私の左足の上を、ランクルの右前輪が通り過ぎました。
一瞬のことで、どのくらいの痛みがあったかは覚えていません。
■ ■
私はすぐに、買ったばかりの携帯電話を取り出しました。
110番通報をしました。
私:もしもし、もしもし、車に轢かれました。
110番:場所はどこですか?
私:厚生病院の裏の交差点です。
110番:どちらの厚生病院ですか?
私:はぁ…?、厚生病院は帯広に一箇所しかありませんょ。
110番:こちらは釧路警察署です。
■ ■
その当時は、帯広から携帯で110番をすると、
なんと釧路に繋がりました。
今は、最新型FOMAから110番をすると、
GPSのデーター?を送り、自分の位置まで教えてくれるようです。
私は、自分がいる場所を正確には言えませんでした。
帯広厚生病院の住所は、
帯広市西6条南8丁目でした。
私が轢かれた場所は、おそらく西6条南9丁目付近だったと思います。
釧路警察署の110番は、帯広警察署に連絡をしてくれ、
まもなくパトカーが来てくれました。
■ ■
私を轢いたランクルは、若い運転手さんでした。
『すみません。大丈夫ですか?』
轢いた方も驚いています。
『病院へ行きますか?』
私:私はそこの厚生病院の医者です。
轢いた運転手さんは、二度びっくりしていました。
そこへ、パトカーが来ました。
警察官:大丈夫ですか?救急車を呼びますか?
私:大丈夫じゃないけど、救急車は呼ばなくてもいいです。
私は厚生病院の医者なので、病院まで送ってください。
■ ■
私はパトカーに乗せてもらい、
すぐそこに見えている、帯広厚生病院へ戻りました。
救急外来の当直の看護婦さんがいました。
『あら、先生、どうしたの?』
私:そこで轢かれました。
『大丈夫ですか?』
私:左足の中足骨(チュウソクコツ)から先が折れているかもしれません。
レントゲン当直の方を呼んでくれますか?
看護婦さんは、私を車椅子に乗せてレントゲン室へ運んでくれました。
■ ■
当直のレントゲン技師さんは、すぐに来てくれました。
先生どうなさったのですか?
いやぁ、そこで轢かれました。
私の左足は、パンパンに腫れており、ずきずきと痛みます。
1ナンバーのランクルが乗っかったのですから、
折れているに違いありません。
レントゲンは、すぐにできました。
不思議なことに、私が見ても骨折線は見えません。
ランクルが乗っかったのに、骨は折れませんでした。
■ ■
次に、私の頭をよぎったのは、仕事のことです。
当時は、私の他に2名の形成外科医が勤務していました。
合計3名でも、毎日忙しく働いていました。
約3ヵ月先まで、手術予定が入っていました。
もちろん、翌日にも手術が入っていました。
困ったなぁ…。
骨が折れていないのなら、仕事はできるかなぁ…?
あの手術は、自分でなければできないしなぁ…などなど。
■ ■
左足がパンパンに腫れたまま、
私は翌日からも仕事をすることにしました。
普通の人でしたら、最低一週間は休むところです。
ここが、医師のつらいところです。
私は、足を引きずりながら、翌日からも仕事をしました。
一番大変だったのが、会う人ごとに、
交通事故でケガをしたと説明しなければならなかったことでした。
首から、説明文をぶら下げようかと思ったほどでした。