昔の記憶
反対咬合(はんたいこうごう)
私は子供の頃に反対咬合でした。
いわゆる受け口です。
下の歯が、上の歯の前にきていました。
子供の頃に矯正をしてもらいましたが、
札幌から美唄へ引っ越してしまい、
最後まで完全にはできませんでした。
ですから、歯ならびがガタガタです。
そのため、一日に4回も歯磨きをしているのに…
歯石がたまりやすいようです。
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私が矯正治療をしていたのは、
手稲に住んでいた頃です。
手稲療養所には、北大病院から歯科の先生がいらしていました。
その頃は、北海道大学歯学部はなく、
北大病院(医学部附属病院)に歯科がありました。
私の主治医は後藤先生でした。
小さい頃から診ていただいていました。
『大きくなったら治してあげる』
と言われていて、小学校入学後に治療が始まりました。
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後藤先生は、北大病院を退職され、
札幌駅前で開業なさいました。
現在、三菱信託銀行が入っているビルの裏手に、
三井のリパークの駐車場ビルがあります。
そのあたりに、中央バスターミナルがありました。
後藤先生は、その近くで開業されました。
のちに毎日新聞社のビルができて、そちらへ移られました。
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後藤先生は優しくて痛くなかったので、
私は歯医者さんが嫌いではありませんでした。
母に連れられて、何度も後藤歯科に通院しました。
今ですと、矯正治療には何十万円もかかります。
当時は、とても安く治療していただいていました。
母が『先生、いつも申し訳ありません』と言っていたのを、
こども心に覚えていました。
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私は北大形成外科に在籍していた頃に、
唇顎口蓋裂のこどもの患者さんを、
北大歯学部矯正科と第二補綴科(ホテツカ)の先生と、
一緒に治療する機会がありました。
大浦武彦教授が、歯学部との共同治療をしていたからです。
今から考えると当たり前のことですが、
当時としては実に画期的なことでした。
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その時に、多少なりとも矯正治療のことを学びました。
(一般に医学部では歯科矯正については教えません)
小児期の矯正治療は、
チンキャップという
(チンはちんちんではなくアゴのことです)
アゴを引っ込ませるための
帽子にゴムがついた装置を夜間につけることなどからはじめます。
アゴの成長を抑えるためです。
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今から考えると、不思議なのが私の治療でした。
私は、チンキャップも矯正装置もつけませんでした。
私が受けた治療は、奥歯に冠をかぶせる治療でした。
子供なのに、銀歯になったと言われました。
そのギンバをつけたおかげで、
前歯でものが咬めなくなりました。
困ったのが、そばやラーメンでした。
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どの位の期間、そのギンバを続けたか…?
今でははっきり思い出せません。
私はおそらく骨格性反対咬合という、
下アゴの骨が前に出る病気だったと思います。
今でもアゴは少し出ています。
ただ、その矯正治療のおかげで
私の反対咬合は治りました。
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矯正装置もつけず、手術もしないで…
反対咬合が治ったので、
後藤先生に感謝しています。
その後、永久歯が萌出(ホウシュツ)した時には、
美唄や夕張の歯科で治療していただきました。
もう少し、後藤歯科に通院して、
永久歯萌出後に歯ならびを矯正しておけば…
ガタガタの歯が快くなっていたかも知れません。
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私は、ガタガタの歯ならびでも満足しています。
顎関節症でアゴが痛いこともないですし、
ものもよく咬めます。
デコボコしているので、
お手入れが大変ですが…
年に4回、
美人の歯科衛生士さんにキレイにしていただいて…
とても感謝しています。
これからも、歯は大切にしようと思っています。