昔の記憶
橋本順子先生(ライオン)
今日は2018年5月5日、子供の日です。
今朝、北海道新聞朝刊を読んでいると、
見たことがある女性が載っていました。
間違いない!
橋本順子はしもとまさこ先生だ!
私が大夕張の山奥から出てきて、
札幌西高校に入学した時の、
1年8組の担任が橋本順子先生でした。
■ ■
順子と書いて
まさこと読みます。
お茶の水女子大学を卒業され、
札幌西高校で世界史を教えていらした、
才女の先生です。
ニックネームはライオンでした。
本名を知らず、
ライオンという名前だけ覚えている同窓生も多いようです。
獅子しし子先生と呼んだ西高の後輩もいました。
■ ■
平成30年5月5日、北海道新聞朝刊(札幌版)の記事です。
札幌の元教員橋本さん
友好のバナナ配達21年
フィリピンの農業者支援
札幌市西区の元高校教員橋本順子さん(81)は定年退職後の21年間、無農薬のフィリピン産バナナを自ら仕入れ、市内の仲間にボランティアで配達している。途上国の農産物を適正価格で取引し、生産者の暮らしを守るフェアトレードを支えるためだ。毎月120㌔約80人分。「フィリピンで頑張る農業者と、札幌の人々の橋渡しをしたい」と話している。(石川泰士)
4月中旬、橋本さんは手稲区内の配達先で車を降り、はき慣れた運動靴できびきび歩く。ベルを鳴らし「バナナをお持ちしました」と明るい声で届ける。
配達しているのはフィリピン南部のバランゴンバナナ。山間部に自生し、農薬や化学肥料を使わず収穫される。大きさはふぞろいだが、やさしい甘さがあるフェアトレードの商品だ。東京の商社を通じて取り寄せ、仕入れ値に配達のガソリン代を加えた1㌔600円で届けている。
このバナナを知ったのは札幌西高の社会科教員だった1995年。途上国の農業者を支えるフェアトレードのバナナを知り、実際に仕入れ、授業で取り上げた。
高校を定年退職した97年、「食べてみたい」との友人の声を受け、試しに20㌔仕入れて4、5人で分けた。昔の教え子の保護者に薦めると評判になり、定期的に仕入れを始めた。
毎月1㌔の配達を受ける手稲区の牧師清水和恵さん(60)は30年前にフィリピンで、低賃金の農園労働者を見た。「バナナを食べると、誇りを持って働く生産者が目に浮かぶ」と話す。
橋本さんは実際にフィリピン南部の現場を訪れている。バナナの収入で自立した生産者の暮らしをみて、活動に手応えを感じたという。
今春からは、市民活動で出会った若い仲間が配達を手伝うようになった。「体力の続く限り、バナナを届けたい」と力を込める。
(以上、北海道新聞より引用)
■ ■
橋本先生らしいなぁ~
81歳になっても、
すごいなぁ~
札幌西高校には、
新琴似のご自宅から、
カローラで通勤されていた記憶があります。
お元気そうでよかったです。
橋本先生には申し訳ございません。
私は世界史はまったくできませんでした。
先生ごめんなさいです。
“橋本順子先生(ライオン)”へのコメント
コメントをどうぞ
本間先生の高校の担任の先生
なのですね。驚きました。
81歳でお元気にご活躍されて
素晴らしいと思います。
「フェアトレード」という言葉は
東急デパートの地下で売っていた
少しお高めのチョコレートで知りました。
ご自分の信念をお持ちになって
活動している方は年齢を重ねても
素敵で輝いていると思いました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私はたくさんの先生にお世話になりましたが橋本順子先生はとても印象に残っています。ものごとをはっきり言う先生でした。恥ずかしながら「フェアトレード」という言葉も知りませんでした。
81歳で、まだご活躍されて凄いです!
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。81歳で車を運転して120㎏のバナナを配達するんですからすごいです。すごい先生だなぁ~です。
すごい先生ですね。真似は中々できません。 それと私は先生より記憶力がなくすべての先生の名前を覚えてません。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。真似できないです。小柄だけど行動力のある先生でした。私は世界史はさっぱりダメで、いい先生だったのに申し訳ないという気持ちしか残ってません。それにしてもすごいなぁ~です。青白い顔をして風邪ばかり引いていた本間くんでした。女の子にはさっぱりもてませんでした。
橋本先生に世界史を習いました。夏休み?の宿題にイプセンの人形の家の感想文提出の課題があったり、フランス国歌を原語で教えてもらったりと、卒業後半世紀以上経っていても鮮明に記憶に残っています。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。思い出の多い先生です。お茶の水女子大卒の優秀な先生です。