昔の記憶
私の欠席日数
昨日の院長日記、
橋本順子先生(ライオン)で、
高校時代のことを思い出しました。
西高一年生の頃
札幌西高の想い出
私が札幌西高校へ入学したのが、
1970年4月(昭和45年4月)です。
■ ■
15歳のけんいち少年はひ弱でした。
よく風邪をひいて、
学校を休みました。
欠席日数が多いので、
自治医大の入試で面接官から、
きみは高校をよく欠席しているが、
そんなに身体が弱くて僻地の医師になれるのか?
…と質問されたのを覚えています。
■ ■
橋本順子先生は、
まさか?
あのひ弱な、
本間くんが、
医者になれるなんて、
きっと思っていなかったと思います。
成績も医学部に合格できるとは、
到底考えられない低空飛行でした。
■ ■
私の欠席日数は、
高校1年生10日
高校2年生15日
高校3年生14日
特に毎年1月~3月の、
3学期に多い傾向があります。
とにかく、
よく風邪をひいていました。
■ ■
欠席日数は、
高校の時の通知票に書いてあります。
実家から持ってきてここ(私の部屋)にあります。
通知票の中味は、
とても公開できるものではありません。
西高1年生の時は、
5段階評価の5はゼロです。
これでも医者になれたのです。
私が医者になれたのは、
予備校でお世話になった、
矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生
…のおかげです。
“私の欠席日数”へのコメント
コメントをどうぞ
確かに欠席日数が多いような気がします。
予備校で先生の学力も体力も
パワーアップしたのですね。
1年生の時とは言え、5が1つもなかったとは……
西高はそれだけ優秀な生徒さんが多かったのですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私はできのいい生徒ではありませんでした。札幌西高校で5だったのは3年生の現代国語と政治経済だけです。2年生まで5はありませんでした。医学部の入試に必要な英語も数学も最高で4でした。こんな私でも医者になれたのだから若い人にはがんばっていただきたいという思いです。
お身体が丈夫になったのは
何か環境の変化や秘訣などが
あったのでしょうか?
私も小学生の頃は病欠が多かったです。
息子も風邪が長引き入院した事も
ありましたが高校生になってからは
早退一回だけでした。
最後まで諦めないで努力なさった
おかげで今の本間先生がいらして
救われる患者さんがいるのですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。特に何をしたということはありません。開業してからは付き合いでお酒を飲むこともなくなりました。自分のペースで仕事ができるからでしょうか?ご子息様も小さい頃は大変だったのですね。これから将来が楽しみですね。
私は小学二年生に入る前 扁桃腺をとってから休まなくなりました。中学三年生まで33キロしかなかったので今 会うと でかくなったと言われます。賢一少年は努力で医者になりました。凄いです
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私が医者になれたのはいい先生と出会えたからです。特に矢野先生には勉強の仕方や暗記の仕方を教えていただきました。残された人生は少しでも患者さんに喜ばれる手術や治療をしたいと思っています。