院長の休日
医者としての幸せとは?
私が札幌医大の学生だった頃は、
大きな病院の院長とか、
○○部長とかになるのが、
医者として‘偉い’人なのかなぁ~?
と漠然(ばくぜん)と思っていました。
自分が院長になりたいとか、
○○部長になりたいとか、
思っていたのではありません。
自分の身の回りに、
そういう人がいなかったので、
漠然と思っていただけでした。
■ ■
当時は、
札幌医大を卒業しても、
大きな病院の院長には、
なれないと言われていました。
北海道内の大きな病院の院長は、
大部分が北大の卒業生で、
一部に東北大の先生がいらっしゃいました。
札幌医大は戦後に開学した公立大学です。
私が学生だった頃には、
まだ札幌医大の卒業生で
札幌医大の教授になった先生は、
数えるほどしかいませんでした。
■ ■
大学病院で偉いのは、
学長、
医学部長、
病院長、
各教授でした。
教授でも講義がつまらない人とか、
助教授とか、
講師の方が、
講義も面白くて、
学生に人気がある先生は…
たくさんいらっしゃいました。
■ ■
私が卒業して30年近くになりました。
札幌医大の教授の多くが、
札幌医大の卒業生です。
これがよいことか?
悪いことなのか?
は後世の判断になると思います。
北海道の大きな病院の院長は、
まだ北大出身の先生が多いですが、
札幌医大出身の院長も増えています。
昔は、
大病院の院長に就任するのが
医者としての‘出世’だと
思われていた時代がありました。
■ ■
最近は、
病院長に就任しても、
マスコミで報道されるのは、
謝罪の記者会見です。
公立病院の多くは赤字なので、
病院長は議会対応で大変そうです。
職員組合との交渉もあります。
大病院や中病院の院長も、
とてもお疲れの様子です。
■ ■
私が大病院に勤務していた時代に、
手術場の更衣室で、
当時の院長と一緒になったことがありました。
私:先生、おはようございます。
院長:おはようございます。
私:先生、楽しそうですね。
院長:手術場に来ると楽しいですよ。
いつもは、困った顔ばかりしていた院長が、
手術室では、とても楽しそうな笑顔でした。
■ ■
院長室で決済の書類に判を押したり、
議会で議員から追求されるよりも、
‘医者’として、
手術ができるのが…
‘楽しい’のだなぁと思いました。
大病院の院長が
黒塗りの院長車(多くはクラウンでした)
で送迎されたのは、
昔のことです。
今は専用車がある院長はほぼゼロです。
■ ■
私は、
医者として偉くなりたいとは思いません。
出世したいとも思いません。
少しでも、
他人の役に立って、
他人に喜ばれて、
私のことを覚えてくれている人が、
一人でも増えてくれれば、
それが医者としのて幸せだと思っています。
今日も
元気なフリをして頑張っています。
元気なフりが見え見えですよ先生! 元気出してください。私は 多くの大学病院の内部の事はよくわからないのですが、実際白い巨塔のような話はどこにでもあるような気がします。
今の政治も 国民の事よりも自分の保身や出世を第一に考えておられる方々ばかりみたいです。
大学病院の先生は大変なんですね。
今日 読売観光から送られてきた パンフレットは北海道特集でした。 先生のブログに出てきた 地名を見ているだけでも楽しいです。
夏休みに入りお忙しくなると思います。 アルバイトや派遣の方とかのお力をお借りして乗り切ってください。
今もスタッフ募集中です。無料で脱毛や 二重にしていただける特典があると聞きました。どうぞ、本間先生に力を貸してください。(勝手にお願い) 縁とは不思議なものですね。山大の荻野先生の件がなかったら、私は本間先生とお知り合いになる事もありませんでした。
以前いた施設で看護部の次期主任候補として研修を受け、少しずつ責任も増してきた時、現場で動くこと以外に事務的な仕事が多くなりました。
患者さんや利用者さんとの対話の時間がなかったり。
ただただ事務職に追われ、カレンダーとにらめっこ
もちろんそれではいけないのに私には上に立つ器ではなかったようです。
その時にはっきりわかりました。
バリバリ現場で動いているほうがいいって・・・
なんとなくその院長先生の手術場のほうが楽しい・・・わかる気がします。
先生今日は私も元気なふりです。
でも先生の悩みが少しでもいいほうに行くようにいつも祈っています。
お役に立てませんが、応援しています。
こんばんわ。
先週出会った「元気なフリ」仲間の話です。
その方は某園の園長先生。
先週、健診を請け負った私が、その園の職員室で健診結果の報告書を
書いていた時、園長先生に電話が…
「……えっ、どうして、早すぎるわ…、 。」
先生は何があったのか、私に打ち明けてくださいました。
長年同居していたお義父様を、その時に亡くされたということ。
重い病で、いずれ送り出すことにはなると思っていたけど、
この夏の間だけでも持ちこたえてほしい、そんな思いで夏を迎えたこと。
その日はずっと続いていた雨模様が終わって、北海道らしい、晴れた空でした。
職員室には若手の先生と、私が居合わせていました。
仕事で年に数回お会いするだけの私が、なぐさめ役になってよいものか躊躇しましたが、思い切って、私の前の職場(看取りを引き受ける病院でした)の、
ベテラン看護師さんから教わったお話をしてみました。
「〇〇先生、今日の空、きれいですね。
看取りの現場で言う、『旅立ち日和』って、ご存知でしたか。
今日のような、初夏の晴れた日、その日が近くなった患者さんが、
『こんな日に逝ってみたいもんだね、
この土地の、一番きれいな空に昇るのは気分のいいものだろうね』と、
笑顔で話してくださることがあるんですよ。」
人生の終わりに、病気と向き合い、受け入れた患者さんの言葉です。
残された者の気持ちをやわらげてくれるはず、
そんな思いでこのお話をしました。
しばらくたって、先生、半泣きからいつもの表情に変わって、
「お義父さんもそうだったのかもしれない。今日の空のように、
きれいな心の人だった。空を見るたび、お義父さんを思い出せるわ。
さあ、これであと半日、元気なふりできそう。」
本間先生、ここにも『長』のつく仲間がいますよ。
大学病院って考えが縦っぽい所がありますね。いいのか悪いのかと言えば、時と場合によると思ったりしますね…
大学病院は、優れた方がおられれば外からの風を取り入れるべきだと思います。
人のお役に立ちたいと思うのは、私もそうです。先生頑張って下さい。
息子が医師を目指すようになって、私は随分色んな事を考えました。
浪人時代の息子の幸せは「医師の卵になること」でした。
じゃぁ…医師になったら、息子が目指すものって一体なんだろう…。
それは本人が考え目指す事ですが、医師になって何年も経った時
今の気持ちを忘れて、本来の仕事や人への感謝を忘れてしまったり
しないだろうか…と、いらぬ心配をすることがあります。
人の命に関わる…と言うことは、恐ろしいくらい責任重大な事ですね。
患者さん本人のみならず、そのご家族の運命との深い関わりです。
人に尽くし、人に求められ、そして感謝をされる…、私は、息子が
そんな事を医師としての幸せ…と思ってもらいたい…そう願って
います。
確かに、収入も多いかもしれません。医者だと思えば人の見る目も
少しは違うのかもしれません。でも決して浮かれる事なく、私利私欲
に走らず、いつも初心にかえる事を忘れないでいて欲しいのです。
「いいねぇ、お医者さんなんて。もうな~んの心配もないね。今は
お金がかかっても、どっさり何倍にもして返してくれるでしょ」
今日も勤務先のお客様にそんな風に声をかけられました。
「そんな事じゃないんです。心配は今までの数倍です。心配の種類
が違うんです。そして…かけた分親になんて返ってこないし、そ
れを望んでもいないんです!」
当然、心の中の叫びに過ぎません。
初めて先生の日記を読ませて頂きました。飾る事なくオープンに書かれていて
人柄を感じます。私も以前 函館の病院(市立病院)に勤めておりブログの写真を懐かしく拝見させて頂きました・・先生は大学で色々な御苦労をされたのですね・・突然の解雇はさぞ悔しい想いをされたのではないでしょうか・・私の主人も先生と同じ年で解雇になり 今開業しています 当時は大変でしたが今では生き生きと働いています 先日 江原啓之さんの講演を聴きに行ってきたのですが
人は何事も経験をしなければ相手の気持ちが分らないと・・病気をして相手の苦痛を知り 人に裏切られて苦悩を知り 自分は試練を与えられ成長しているのだと・ちょっと宗教じみてますが(笑)元気なふりをしているのは先生だけではありません(>_<) 頑張って楽しい時間を過ごしましょう~ この頃は待つのではなく自ら楽しみを見つけるよう日々努力しています 今度若返りのご相談に乗って下さい(笑)保険証を持って伺いますので(^_-)-☆