院長の休日
よい一生だった
最高の人生とは?という、
2009年1月23日の院長日記に、
さくらんぼさんから、
私のよい最高の人生というのは
亡くなるとき
私なら、だんなと一緒になれてありがとう。
幸せだった。
と言えた時だと思います。
私には言ってくれるかなあ〜。
先生は言えますか?
奥様は本間先生と一緒に過ごせて
よい一生だった。ありがとう。
と言えますか。
…とコメントをいただきました。
■ ■
私は結婚して30年が過ぎ、
何度も離婚の危機がありました。
これからも…
ひょっとすると…
離婚の危機があるかも?です。
人生いつ何があるかわかりません。
■ ■
30年前は若かった奥さんも、
いろいろお手入れが必要な年齢となり、
私がお直しすることもあり、
私の友人の先生にも…
お世話になっています。
私自身も、
眼瞼下垂症の手術をしていただきました。
■ ■
私が竹脇無我さんのように…
急に病気になって意識があれば、
奥さんに、
いろいろあったけど…
ありがとう
よい人生だった
…と言うと思います。
■ ■
奥さんは、
どうでしょうか?
あなたといっしょになって…
いろいろあって…
大変だった
とは言うと思いますが…
ありがとうは言うかなぁ~?
■ ■
私が素晴らしいご夫婦だったと思うのは、
麻酔科の劔物持(けんもつ)修先生と、
奥様の故_弘子さまです。
ガン治療推進チャリティーコンサート。
出会って63年、
結婚して45年。
こんなに長い間付き合えたのは、
僕たちの誇り
…という先生のお言葉はすばらしいです。
■ ■
毎日、
次々といろいろなことがあります。
自分の力だけでは、
どうにもできないこともあります。
癌はこわいです。
人生、いつ何があるかわかりません。
死ぬ時に、
よい一生だった
…と言えるように生きているつもりです。
“よい一生だった”へのコメント
コメントをどうぞ
え!私そんな事書きましたか(苦笑) なかなか ありがとう は言えないですよね。 なぜか また お忙しい先生に相談しまくりの一日で 妹にかなり叱られました。すみませんでした。明後日は私の診察日。あ〜あ どうしよう(´Д`)
お久しぶりになってしまいました・・・
近しい親戚と50年来のお客様の不幸が続き、毎日手伝いに通っていました。店は2日間しか休めなかったのであとの残りは私が一人通いで手伝いをしてきましたが、親戚も突然の別れだったので、旦那様はよい人生だったのか?と自分をせめておられました。
私も今回葬儀のすべてからお手伝いさせていただきましたが、改めてよい人生とは???と考えました。
最近までしょっちゅう喧嘩ばかりしていた私たち夫婦も「必ず私が父、母、弟、夫をみとるから・・・長生きするから」と約束しました。
先生、奥様をほめなくても奥様はわかっていると思います。
ブログは読まなくても、先生の人生で苦難があったとき奥様は喧嘩になったかもしれませんが、先生の3歩後ろで先生を今も支えてらっしゃいますよね。
私の目標はいつも先生の奥様です。
手紙の書き方、お心遣い、いろいろな面で女性らしさを感じます。
私も真似ですが、先生の奥様のようにお礼状の書き方から今勉強し始め、そのお蔭かお客様から努力してるねと言われるようになってきました。
良い人生とは・・・
離婚の危機が(我が家も)あったとしても、先生が満足する医療をし、娘さんが息子さんが元気でいられること・・・
そしてクリニックの苦しい時期でも先生の苦悩を陰ではわかってくれている奥様の存在だと思います。
どうぞよい人生だったと思える人生をこれからも送ってください。
コメントでしか応援できませんが、陰ながら夫とともに応援しております。
劔物先生も既にご逝去なされていますね.
麻酔外来でスキーで亡くなった某先生と劔物先生に昔お世話になりました.
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
お知らせいただきありがとうございました。平成23年3月28日(月)にご逝去されたことを今知りました。密葬で葬儀をなさったのですね。先生のご冥福をお祈りいたします。まだ72歳とお若かったのに、残念です。