院長の休日
最高の人生とは?
最高の人生とは何か?
ちょっと考えてみました。
私が子どもの頃、
近所のお医者さんの家は、
裕福で、
テレビも
ピアノも
自動車も
自分の家にないものが、
お医者さんの家には何でもありました。
■ ■
私の母親は、
私の父親が薬剤師で、
お医者さんの方が、
薬剤師の倍もお給料がもらえるから、
家にないものが、
お医者さんの家には、
『何でもある』と
子どもの私に教育しました。
■ ■
裕福になりたいから…
お金持ちになりたいから…
子どもの頃から勉強して、
お医者さんになったのかも知れません?
確かに、
医師免許証があれば、
生活に困ることはありません。
雇用保険も、
一度もいただいたことはありません。
■ ■
研修医の頃は、
貧乏だったこともありますが、
結婚して子どもが生まれてからは、
生活に困ったことはありません。
分不相応な家を建てて、
住宅ローン地獄になった時以外は、
同世代の友人たちより
‘よい暮らし’
をしていたと思います。
■ ■
私が子どもだったころから、
50年が経ちました。
両親は83歳と81歳になります。
年齢相応に衰えていますが、
まだ元気です。
両親は私が札幌医大に合格した時、
医師免許証を取得した時、
とても喜んでくれました。
■ ■
世間から見ると、
順風満帆な人生で、
最高の人生かも?知れません。
50年経ってみると、
父より高給だったお医者さんは、
父よりずっと短命でした。
お金をたくさん残された先生もいらっしゃいます。
でも残された奥様は…
お一人で寂しく余生を送っていらっしゃいます。
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薬剤師の父親は、
つい数年前まで、
調剤薬局のピンチヒッターとして、
働くことができました。
私はどう頑張っても、
父親の年齢まで生きられる自信がありません。
父親よりずっと短命だと思います。
形成外科医としての寿命は、
もっと短いと思います。
■ ■
最高の人生とは、
函館の看護師さんが書いてくれた、
100歳のおばあちゃんが言われた、
「100年生きてきたら楽しいことより苦しい時代が多かった。
でも苦しいと感じた時に
必ず目の前に蜘蛛の糸みたいな紐が下りてきて
その紐をたどったら
必ずどん底から這い上がれたと・・・」
だから目の前に本当に蜘蛛の糸が下りてくるわけじゃないけど
自分が不幸なんだとか苦しいと感じたら
目の前に蜘蛛の糸が下りてきていると思って
必ず這い上がってごらんなさい。
と100歳になって言えるような人生かなぁ…
と思っています。
私には到底無理でしょうけど…
私は自分のやりたかった事があったので 今度生まれ変わるなら 絶対人のためになるような仕事をします。まだ若い人は可能性があります。でも私は体がついて行きません。
息子は 当初医学部志望でした でも途中で 別の事に興味がでたようです。
私はあと4年で年金が貰える共済に入っています。でも 100までは 生きられないので 今から主人には 遺言を言ってます。 私のよい最高の人生というのは 亡くなるとき 私なら だんなと一緒になれてありがとう。幸せだった。
と言えた時だと思います。私には言ってくれるかなあ〜。
先生は言えますか?
奥様は 本間先生と一緒に過ごせてよい一生だった。ありがとう。と言えますか。
人生を振り返るにはまだ早いかと思いますが・・・私にとっては人との出逢いが人生を左右するのではないかと思います。友人,同僚,上司,医師,etc・・・50年も生きていると楽しい事ばかりじゃなく、苦しい事も多々ありましたが、不思議と楽しい事が記憶に残っているものです。そんなもんです。
私の小学校の同級生に高峰さんというお医者さんの娘さんがいました。もの静かで、頭がよくて、後で東京女子医大にいきお医者さんになったと聞きました。やっぱり、お医者さんは、もの静かで、頭がよいほうがいいです。
私の家のそばの眼科ですが、すぐ怒って「目がみえなくなってもしらないよ!」と患者さんに不安を与えるような暴言。まともな話のできる医者さんのいる眼科ができないかと思っています。
多分私も100歳まで生きるのは無理だろう。と思います。でもきっと100歳まで生きても60年の人生でもきっと自分が生まれてきてこの人生よかったと思えればそれがどんな人生でもいいのかも知れません。
ただ今の私はまだまだやりたかったことも、やりたいことも、できなかったこともいろいろあるので残りの人生どうなるのかわかりません。
正直日々の生活に追われているので結局は素晴らしい人生を送ろうと思っては生活してません。
でも、自分でかなり苦しいなと思っている時に最高の人生を考える機会があったり100歳まで生きた方のお話を聞いて励まされたりすると悔いのない人生送りたいなんて考えてしまいます。
さくらんぼさんが問うように私も今は夫に出会えて苦しいなりにふつうに生活できたことはよかったといえます。
なんだかんだいって夫は自分がいなきゃおまえは生きていけないと言ってますし、私は私で私がいなきゃ夫は生きていけないなんてお互いに言い合ってるのでお互い幸せなんだと思います。
正直今結構苦しい時期なんで勝手に自分で私の目の前に降りてきている蜘蛛の糸を勝手に想像して金の蜘蛛の糸が下りてきてると思っている今の自分は実はまだ本当のどん底ではないのかな?なんて思っています。
100歳のその女性のお話は私にとっては私の人生の中の影響を受けたお話ベスト10に入るくらい影響力私に与えてくれてます。
ご無沙汰しております。
去年、秋にケアマネの筆記試験に受かり、先日、ケアマネの実務研修に2日間、行って参りました。 あと5日間あります。
この研修を受けてケアプラン、認定調査等を作成し、提出しないと免許は頂けません 涙。5年後の更新研修が義務化されてます。超高齢化社会を迎えております。”老い=加齢”と、どう向かうのか、どうお付き合いするのかという事があります。私は、医療人としての目線で物事を見ていました。しかし、在宅にも関わる仕事に携わり、この介護支援専門員の勉強し少し、お年寄りの気持ちがわかるようになりました。脳梗塞で片麻痺になっても、残存機能を活かし、出来る事はやって頂く。廃用を予防する。人格的自立をして頂くということです。何でもやって差し上げるのは、逆に依存的になり、ベッドから起きれなくなったりする場合もあります。
要介護5 であっても、意思疎通が図れるなら、この番組にチャンネルを変えたいと意思を表示をし、自分で選択して頂くというのも大事です。 また、オープンクエスチョンやクローズクエスチョンなど、コミュニケーション技術など、改めて学習させて頂きました。
最高の人生だったかは、老年期にわかるような気がします。もしかしたら、死期が迫った時に、走馬灯のように頭の中で巡るゆく絵図なのかもしれませんね。
壮年期まで、順風満帆であっても脳梗塞や出血で倒れて、麻痺が残ったり、軽い認知症があって、介護を受ける時、冷たい看護や介護をされたら辛いですよね。今までの人生が良くても最悪の人生だったと感じさせてしまうかもしれないと講義でお話がありました。誰しもが迎えるであろう老いに恥じる事なく、生活出来るよう利用者や家族、介護や医療従事者の方達の間に入る、潤滑油であり、利用者にとっての代弁者という役割を担う仕事です。医療と介護が、上手く融合出来る事が一番ですが、まだまだ勉強が必要かなと思っております。今年、4月に介護報酬が3%(施設1.3%在宅1.7)アップ予定です。
また、情報を発信出来ましたら発信していきたいと思います。