昔の記憶
武藤靖雄先生を悼(いた)む
札幌中央形成外科理事長の
武藤靖雄(やすお)先生が
平成21年1月16日午前8時27分に
ご逝去なさいました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
お通夜:1月17日午後6時
告別式:1月18日午前9時30分
札幌市中央区南2条西21丁目
瑞龍寺花園会舘
喪主(妻)武藤紀子 様
施主(長男) 武藤英生 先生
(医療法人社団札幌中央形成外科院長)
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私が武藤先生とはじめてお会いしたのが、
日本形成外科学会の学術講習会でした。
先生は講習会の講師で、
私には雲の上のような存在でした。
私が釧路労災病院形成外科に勤務していた頃でした。
たまたま武藤先生が、
昔、手術をなさった患者さんが
釧路労災病院形成外科を受診されました。
■ ■
当時の私はまだ30歳くらいでした。
美容外科の知識もなかったので、
釧路→札幌まで行って、
武藤先生に診察を受けるようにお話ししました。
武藤先生のところで、
手術を受けられた患者さんの術後のケアーを
釧路労災病院でさせていただきました。
これが私と武藤先生のつながりのはじまりでした。
■ ■
その後、私は釧路労災病院→
函館中央病院→
市立札幌病院と転勤しました。
市立札幌病院に勤務していた時に、
武藤先生の手術を見せていただきました。
私が医師になったのが約30年前です。
医学部では二重まぶたの手術法は教えません。
今でも、二重の手術法を教えている医学部は、
ほぼゼロだと思います。
■ ■
私がはじめて美容外科で、
二重の手術を見せていただいたのが、
札幌中央形成外科の武藤靖夫先生でした。
まるで手品を見ているようでした。
(武藤先生は手品の名人でした)
大学病院や総合病院にしか
勤務したことがない私は、
武藤先生の患者さんに対する姿勢を拝見して、
カルチャーショックを受けました。
■ ■
『患者さんではなく、お客様です』
忘れられない言葉です。
美容外科医へ転向しようか?
と30台後半で考えたことがありましたが、
武藤先生のお仕事ぶりを拝見して、
自分には無理だ!
と一度は美容外科医になるのを諦めました。
その後、私は市立札幌病院→
帯広厚生病院へと転勤しました。
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平成9年4月のことでした。
私が東京の学会へ出張中に、
武藤先生からお手紙をいただきました。
そのお手紙には、
副院長として札幌中央形成外科へ迎えたいという、
私には身に余る光栄なお手紙でした。
妻や両親とも相談して、
武藤先生ご夫妻とお会いしました。
■ ■
北大形成外科の杉原平樹教授に許可をいただき、
一年後の
平成10年4月に
私は札幌中央形成外科の
副院長にしていただきました。
副院長に就任するまでは、
毎週、土曜日(休日)に
帯広から札幌まで通い、
武藤先生に手術を教えていただきました。
■ ■
患者さんへの接し方など、
美容外科医としての心得は、
この時に武藤先生から教えていただいたものです。
今でも足もとにも及びませんが、
先生の教えは深く私の脳裏に焼きついています。
その後、
私は札幌医大から形成外科講師として呼ばれ
札幌中央形成外科は、ご子息の英生先生が
後継者となられることになりました。
武藤先生は日本を代表する美容外科医でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
故 武藤靖雄(やすお)先生