昔の記憶
パイロットへの夢
以前にも書いたことがあります。
私が高校生の時になりたかったのは、
パイロットでした。
大空を飛んでみたいという…
単純な少年の夢です。
一浪した時に、
運輸省航空大学校の入学試験を受けました。
北大農学部が試験会場でした。
一次試験は秋にあった記憶があります。
■ ■
英語の試験問題に、
ライト兄弟の話しが出てきました。
さすが航空大学校だなぁ~
と思ったのを今でも覚えています。
当時は高校卒で受験資格がありました。
現在は規則が変わって、
①4年制大学に2年以上在学し、全修得単位数が62単位以上。
②短期大学又は高等専門学校を卒業した者。
③専修学校の専門課程の修了者に対する専門士及び高度専門士。
となったようです。
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ライト兄弟の英語ができたからか?
航空大学校の一次試験には、
運よく合格できました。
2次試験(身体検査)が
東京の慈恵医大であるので、
東京まで来るようにという通知が来ました。
当時、東京まで行くのは、
函館から連絡船に乗り、
列車で行くのが受験生の主流でした。
航空運賃は高く、
貧乏だった私たちには高嶺の花でした。
■ ■
ちょうどその頃、
航空大学校の練習機が、
仙台空港で事故を起こしました。
父親に2次試験のことを話したところ…
事故のこともあり、
2次試験に行くのを諦めました。
視力は2.0だったので自信がありましたが、
はっきり言って‘体力?’には、
あまり自信がありませんでした。
■ ■
オッサンになってから、
大手航空会社の国際線の機長になった友人を見ると、
私の体力でも大丈夫だったかなぁ?
と思いました。
もう一つの懸念材料は、
航空大学校を卒業しても、
航空会社に入社できない卒業生がいたことでした。
私くらいの年代は、
ちょうど大量輸送時代に入る過渡期でした。
■ ■
田中角栄首相が、
ロッキード社とトライスターという航空機を、
全日空に納入するのにお金をもらったとか?
そういう時代でした。
ジャンボ機ができたのも、
そのあとでした。
私たちの少し前には、
パイロットになったけれど…
就職できないので…
もう一度大学に入学して、
学校の先生になった人もいました。
■ ■
私の高校の同期には、
大学に入学後に、
航空会社が募集した、
自社養成のパイロットとなり、
大手航空会社の幹部パイロットもいます。
今と同じようにオイルショックがあり、
トイレットペーパーが街から無くなった時代でした。
私も、もし航空大学校に入り、
無事に卒業していたら…
おそらく就職できたと思います。
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当時は父親の判断で、
航空大学校を諦め、
再び、医学部への道を進みました。
それが正しかったかどうか?
どちらが幸せだったか?
なんてことは考えても仕方のないことです。
■ ■
ある時、
パイロットになって、
国際線を飛んでいる友人に言いました。
『オレ、パイロットになりたかったんだ』
機長の友人は
『オレは医者になりたかったんだ』
人生なんてこんなものかも?です。
医者もパイロットも大変です。