院長の休日
最高の人生の見つけ方
今日は休診日でした。
久しぶりに家内とビデオをみました。
最高の人生の見つけ方です。
末期がんで余命半年と宣告された、
二人の男性が偶然同室になります。
自動車整備工のカーター(モーガン・フリーマン)と、
大金持ちのエドワード(ジャック・ニコルソン)。
■ ■
二人ともガンの手術を受け、
手術後の化学療法(Chemotherapy)
(映画ではChemo(キモ)と言っています)
の副作用で苦しみます。
便器に顔を突っ込んで、
ゲーゲーしていたり、
夜中に病室で苦しんでいます。
医師からの言葉は、
6ヵ月、長くて一年。
■ ■
自動車整備工のカーターは、
大学へ進学し、
歴史学を学びたいと思っていましたが、
恋に落ちて、
デキ婚となり、
お金もないので、
大学は中退。
お金を稼ぐために自動車修理工となり、
45年間実直に生きてきた人です。
■ ■
大金持ちのエドワードは、
無一文から身を起こし、
一代で病院チェーンを築き上げた男。
4回結婚していますが、
奥さんとはうまく行かず、
唯一、うまくいったのが
仕事との結婚。
巨額の富を築きました。
■ ■
自動車整備工のカーターは、
奥さん(看護師)以外の女性とは、
一切関係を持ったことがないという、
私のような真面目なおじさん。
大金持ちのエドワードは、
自家用ジェット機にも、
プロの美人女性を同伴してしまう、
トシなのに衰えないおじいさん。
■ ■
これ以上書いてしまうと、
映画を見る楽しみがなくなってしまうので、
あとはビデオでお楽しみください。
映画ならではの、
現実離れした発想もありましたが、
実に考えさせられる映画でした。
自分が
『余命6ヵ月』
『長くて一年』
と宣告されたらどうするでしょうか?
■ ■
死ぬ時はみんないっしょです。
学歴も職業も関係ありません。
医者も
弁護士も
社長さんも、
病気には勝てません。
自分が生きている間に、
どれだけ人に喜びを与えられたか?
どれだけ人から喜びをいただいたか?
嘘をつかないで生きてきたか?
その人にとっての最高とは何か?
考えてみようと思いました。
余命を宣告されたら 自分は 凛としてられるだろうか? 何度か伯父や伯母、義父の病気・余命との戦いを見てきましたが、病気の事を調べるために 何冊も専門書を読みあさっていた伯父よりも 自分の 好きな釣りなどして 余命を 生きている 伯父(癌で余命6か月と言われましたが、まだ私の父(弟)と釣りをしています。 私は 本間先生のように 真面目に生きてきた人間とは言えません、嘘もつきました。 生涯 本間先生のように真面目に 嘘も付かず の人ばかりだったら 犯罪もなくなると思います。 前は 真面目でなかったとしても 今 一生懸命真面目に生きていれば、神様は許してくれないでしょうか? 前にもcommentしましたが「余命一か月の花嫁」や 「 風のガーデンの貞美」のように 精一杯 余命を生きたいと思います。 私は 裁縫も 料理も 字も下手で 頭も悪いのですが 私より ずっと 生きたくても 生きられない人がたくさんいます。 その人たちの分も 私なりに精一杯 生きようと思います。
陽が長くなりました。マリンブーツを履き ぬかりながら 今日も一日 雪の上で 仕事してました。すみません。まとまりのないcommentになって・・
最高の人生はきっと自分の余命がわかって自分を振り返る時間があったら考えるかも知れませんね。
先日100歳の女性の方から教えてもらったお話ですが、「100年生きてきたら楽しいことより苦しい時代が多かった、でも苦しいと感じた時に必ず目の前に蜘蛛の糸みたいな紐が下りてきてその紐をたどったら必ずどん底から這い上がれたと・・・」だから目の前に本当に蜘蛛の糸が下りてくるわけじゃないけど自分が不幸なんだとか苦しいと感じたら目の前に蜘蛛の糸が下りてきていると思って必ず這い上がってごらんなさいと言われました。
実際に苦しいなと感じている現在その言葉を言われて涙が出ました。
しかも100年生きてきた女性に言われた一言にものすごい重みを感じました。でもその女性は苦しかったけど最高の人生よ。100歳になって最近分かったと言っていました。
たぶん私と同じくらいの年の方が同じことを言ってもそんなに感動しなかったと思うんですが、やっぱり100年の重みはすごい!
なので今は最高の人生かどうか?まだまだ私には考えるのは早いのかな?と・・
これから何十年もたって仕事もしなくなって時間に余裕があったらきっとそう考えるのかな?と思います。
なので私はまだ考えられないですね。
ただ私の母は57歳で急死したので母にとって最高の人生だったか考える時間はなく普通に検査中に亡くなったりもあるかも知れないし事故にあうかも知れないので、自分のやりたいこと?は今のうちからチャレンジできたらしておいたほうがいいのかな?と母が亡くなってから考えるようにはなりましたね。
でも、ここでは書けないくらい私の人生は結構悪さもしてきたりしてて先生に叱られそうな人生送ったので私の人生については正直語れないかも・・・(汗)
函館の看護師さんの100歳の女性のお話、今いくつもの病気や家庭内の問題に悩んでいる友人にこの内容を(すみません勝手にですが)メールで送らせていただきました。 いつも話を聞いてあげるしかなかったので、少しでも何か感じてもらえればと思ったのです。 有り難うございました。
nokkokさん、なんだか私が言った話ではないのですが、ありがとうございます。
正直この話を聞いたのは私も実は先週の土曜日でした。
結構精神的に参っている時だったので特にその言葉が心に響きました。
しかも100歳の女性の明治、大正、昭和、平成で今を生きる彼女の言葉はものすごい重みがあったんですね。
なので先週からの私のブログのコメントにも結構この内容が反映されていて、かなり精神的に参っていたんですが這い上がろうとは感じたんです。
まだちょっと引きずっているんですが、戦争や貧困、そして今のこの時代を過ごしたことを考えると私の悩みはちっぽけかな?と。
医療や介護現場で実際に看護師としてこのように看護技術や介護技術に関係なく人生について学べることが多く、患者さんや利用者様の言葉で医療、介護従事者は励まされています。(私はかなり患者さんに助けられてるかも・・・)