院長の休日
ガン治療推進チャリティーコンサート
平成21年12月1日の北海道新聞朝刊に、
次の記事が掲載されていました。
妻の遺志継ぎがん治療応援
札響、あす慈善公演
「がんに苦しむ人に手を差し伸べるのが私の最後の使命」という亡き妻の遺志を実現しようと、がん治療推進チャリティーコンサーートが2日、札幌コンサートホール・キタラ (札幌市中央区)で開かれる。麻酔科医として、治療に当たった夫が企画し、札幌交響楽団(札響)が演奏する。売り上げは妻の遺言に従い、全額をがん治療の研究費として北大医学部に寄付する。
元北大医学部教授で、北海道社会保険病院顧問の劔物(けんもつ)修さん(69)=札幌市中央区=。妻の弘子さんは2007年暮れに卵巣がんと診断され、2009年8月19日に70歳の生涯を閉じた。
2人は修さんが東京から小樽に疎開した幼いころに知り合った。終戦の年だった。その後、医師と服飾デザイナーと歩む道は違ったが、「出会って63年、結婚して45年。こんなに長い間付き合えたのは、僕たちの誇り」と修さん。
最愛の人の病気が分かると、修さんは自ら主治医のー人となり、一緒にがんと戦った。二人三脚の治療によって、あと半年と言われた余命は、1年8ヵ月まで延びた。
弘子さんは最後に「わがまま」を言った。「葬儀はしないで。その代わりにがん治療の重要性をみんなに伝えてほしい」。修さんが「それならキタラでお別れ会をやろう」と言うと、弘子さんは「すてき」とうなずいた。
修さんは古くから札響を支援する会員で、協力を求めたところ、札響側も快諾。2人と親交のある札響正指揮者の高関健さんが指揮し、弘子さんが大好きだったというビバルティ「四季」の「冬」やサンサーンス「白鳥」などを演奏する。ロビーには献花台や、がん治療に関するパンフなどを置いたブースを設ける。
修さんは話す。「コンサートが、がんの知識を深めるきっかけになれば弘子も喜ぶ。僕も医師として引き続き、がん治療に当たる」
開演は2日午後6時半。チケットは3千円で、キタラ011-520-2000で扱っている。
■ ■
昨夜、キタラのコンサートへ行って来ました。
素晴らしいコンサートであり、
お別れ会でした。
劔物修(けんもつおさむ)先生は、
私の札幌医大の先輩です。
札幌医大の卒業生としてはじめて、
北大医学部の臨床系教授に就任されました。
私が北大病院でチーフレジデントをしていた、
昭和60年11月でした。
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劔物先生は札幌医大麻酔科から、
東邦大学医学部麻酔科教授に就任されていました。
北大医学部麻酔科の教授選で選ばれ、
東京から札幌へ戻って来られました。
当時の北大は麻酔科医不足で、
手術申し込みをしても、
麻酔科医が足りないので、
手術ができないこともありました。
■ ■
麻酔科医局長だった佐々木先生が、
申し訳ございませんが…
この手術は無理…と言いかけたところ…
新任の劔物教授が、
その麻酔は私がかけますから
引き受けてください
と言われたのを…
今でもはっきり覚えています。
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劔物先生は、
高橋長雄先生の弟子です。
平成21年6月7日の葬儀では、
弔辞を読まれました。
奥様の死期が迫っていた中で、
恩師の弔辞を読まれた先生は、
どんなお気持ちだったのだろうか…?
と考えながらコンサートをお聴きしました。
■ ■
昨夜の追悼コンサートは、
私が今までに参列した、
どのお葬式やお別れ会より、
素晴らしい会でした。
ロビーには献花台が置かれ、
先生と奥様の楽しそうな写真が、
たくさん飾られていました。
今年の春には、
弘前の桜を見に行かれたようでした。
■ ■
70歳という年齢は、
まだまだ若すぎる歳です。
どんな名医の奥様でも…
あっという間に他界されてしまいました。
奥様からのメッセージが、
プログラムに同封されていました。
みなさん、がん検診を受けてください。
心からHIROKO様のご冥福をお祈りいたします。
■ ■
本日はコンサートにおいで下さり有り難うございます。
さて、日本人の2~3人に1人はガンと言われています。
ある日突然「貴方はガンです。」ショックは大きいですよ。
ガンの治療には早期診断と早期治療が最も大切です。
嫌がらずに積極的にガン検診を受ける事です。
怖がらずにガンと正面から向かい合うのです。
ガンの診断と治療の向上は日進月歩です。
子宮頸癌にはワクチンが使用出来る様に成りました。
胃ガンの多くはピロリ菌が関係しています。除菌する事です。
卵巣ガンは発見しにくいガンの代表です。
女性は40歳を過ぎたら、腹部のエコー検査と血液検査を
定期的に受ける事が大切です。
ガンの免疫治療(遺伝子治療)も始まりました。
近未来に人類はガンを必ず克服します。
皆さん、もっとガンについての正しい知識を知る事が大切ですよ。
~HIROKO~
と遺影を持ちながら弘子さんとの思い出を話す修さん
(北海道新聞より引用)
(プログラムより引用)
HIROKO様が描かれた絵です
素敵なコンサートだったようですね。
自分の知人や家族ががんだと分かった時私ならどうするだろう???
正直何もできずに心配することしか私にはできないのかな???
ただただ私なら祈ることしかできません。
癌が治る病となる日が来るのを心待ちにしています。
弘子様のご冥福を心からお祈りいたします。なんて 素敵な お別れの仕方でしょうか。私はそこまで 強くなれるかわかりません。まるで 千の風になって いつまでも 吹き渡っていらっしゃるように思える告別式でしたね。人にはいろんな 死に方があります。 お得意様の奥様はいつも重い荷物下ろしを手伝ってくださってました。次の年にはもういませんでした。癌で死期が近付くと 葬式の会場や 何もかも準備され旅立たれました。妹のお姑さんは 癌である事を知っていたのに病院にも行かず妹の娘二人を見てくれていました。ある日「○○さん、ごめんね、孫たちにご飯作れなかったから カップ麺食べさせてしまったの」かなりつらかったのだと思います。「私の宝は○○さんが家にお嫁に来てくれたことよ。ありがとう」 最期の言葉でした。運ばれて手術しましたが 手遅れで そのまま回復室で息を引き取りました。 その時 意識がないのに 少し目を開けられ涙が流れていました。あ〜 誰にも迷惑をかけないで こんな死に方もあるんだなとおもいました。
弘子様のようには なれませんが、私も少しでも何かのお役にたてるようになりたいと思います。
ガン検診は必要です・・・。今、私は痛感しています。3年前にマンモグラフィーをした時に「6ヵ月後に再検査に来て下さい。」と言われていたのに・・・父の看病と自分の通信制看護学校が重なり、すっかりほったらかしていました。
組織検査をして2週間目(12月8日)・・・看護師なのに情けないけど怖いです。聞きたくない気もします。私はガンと正面から向かい合う事ができるかなぁ。
素敵なコンサートですね。弘子さまの好きな曲(四季)の演奏の間は弘子さまとの思い出が甦ったと思いますし、奥様の願いを叶えられて本当の意味での葬式が出来たと感じてらっしゃるのではないかと思いました。
病名や進行の程度にもよりますが、癌と告知されると1日の時間のあり方や長さの感じ方が変わってくるのだと患者さまから学びました。
元気なうちはそんなに深く考えないですし、家族と出来るだけ過ごそうとか親孝行しておこうとか深く考えないものだと思います。
しかし、病気や事故で死ぬ順番が狂うことも世の中にはあるので親孝行とか時間を大切に使うことも大事なのではないかと思いました。
1日を有効に大切にという事でしょうか。
先日、乳がん撲滅月間だったの時にマンモグラフィーを受けてきましたが大丈夫でした。検査で受けて助かる命もあるので、受けた方がいいですね。
ガン患者は死ねと言う事か!
中性子がん治療研究施設:予算削減で存続危機 計画中止含め検討 /茨城
◇30億から1億円に
中性子を活用したがん治療研究施設として県が筑波大や東京大とともに推進してきた
「いばらき量子ビーム医学利用研究センター」(東海村)に対し、
ハコモノ建設の削減を図る鳩山政権が「成果が出るのに時間がかかる」とクレームをつけ、
計画存続自体の雲行きが怪しくなってきた。
事業主体となる独立行政法人「科学技術振興機構(JST)」は4日、
当初30億円が見込まれた予算を最終的には1億円まで削ると通告。
県は推進する2大学と協議に入り、計画中止も含め根本的な見直しを余儀なくされた。
同センターは、自民党政権下の緊急経済対策「地域産学官共同研究拠点整備事業」の一つ。
政権交代後の10月、文部科学省は事業費695億円のうち432億円を削減する方針を提示。
全国45施設が対象となり、存続の危機を感じた県は同センター予算を18億円に減額し再申請した。
同センターでは、小型加速器の中性子源を用いたがん治療を研究する計画。
現在、中性子を用いたがん治療は研究用原子炉がないと行えない。
県科学技術振興課は「1億円で何ができるのか」と戸惑いを隠せない。
東海村は「原子炉があるからこそ建設できる。中断は国の損失となる」と話す。
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20091205ddlk08040072000c.html
鳩山政権は子供手当てのために、ガン患者に死ねと言っております。