昔の記憶
札幌オリンピックから40年
朝日新聞に札幌オリンピックから40年という記事が連載されています。
1972年2月に
札幌で冬季オリンピックが開催されました。
当時、私は札幌西高校2年生でした。
成績は…
450人中(一学年の定員は450人でした)100番程度…?
少しずつUPしていたとはいえ…
医学部なんて夢のまた夢でした。
■ ■
札幌西高校2年生の担任は、
齋藤佳彦先生でした。
担当科目は保健体育。
その中でも柔道が専門の先生でした。
だれがつけたかわかりませんが…
ぽんというあだ名でした。
私は柔道も体育も不得意でしたが、
齋藤先生にはよくしていただきました。
■ ■
札幌オリンピック開会式では、
聖火の最終ランナーが高校生でした。
フィギュアスケートでリンクを走ったのが、
札幌北高校1年生の辻村いずみさん、
その聖火を受け取って、
階段を上り、
点火したのが、
札幌旭丘高校の高田英基さんでした。
■ ■
今朝の朝日新聞には、
辻村さんと高田さんが載っていました。
私と一歳違いです。
高田さんは札幌市職員。
辻村さんは高校の先生だそうです。
お二人ともお元気そうでした。
お顔も私と同年代になっていました。
■ ■
当時の日本は、
ちょうど三丁目の夕日のようでした。
もう少し時代は進んでいましたが…
日本はまだまだ大変でした。
それからオイルショックの時代が来ました。
トイレットペーパーが無くなったのは、
私が予備校から大学に入った時です。
■ ■
今の日本も大変な時です。
大震災後には超円高で、
大企業も軒並み大赤字です。
政治家は…
だれも頼りになりません。
ここらで…
スーパーマンみたいな人が出てきて…
日本を何とか助けて欲しいです。
札幌オリンピックの頃には…
夢がありました。
“札幌オリンピックから40年”へのコメント
コメントをどうぞ
札幌でオリンピックがあった40年前はまだ生まれていませんでしたが、昨年震災があって、不況で・・・大変な時代ですが、政治家もあてにならなくてもまだまだ未来は明るいと思っていたいです。
だってあきらめたらスーパーマンも出てこないでしょ(笑)
将来は不安ですが、毎日正直自営業も大変ですが、今日を毎日必死に生きていると、毎日自然に日は登っています。将来が不安なものかもしれないですが、今を必死に楽しんで生きていたいです♪