昔の記憶
新年家族会
私が医師免許を取得したのが、昭和55年5月です。
私は、北大形成外科に入局し、大浦武彦先生の門下に入りました。
当時の北大形成外科は、まだ少人数で、実に家族的な医局でした。
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教授が、一家の大黒柱。
お父さんのような存在です。
その下に、お父さんの弟レベルの先生が数人。
私たちは、ちょうど息子くらいの年代でした。
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毎年、お正月には医局の新年家族会がありました。
医局員の奥さんや子供たちが全員ホテルに集合します。
その前年に結婚した医局員は、奥さんを紹介するのが家族会でした。
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昭和57年(1982年)1月4日、札幌グランドホテルで、
第3回北大形成外科新年家族会が開かれました。
私は、その前年に結婚したので、この時にはじめて家内を連れて参加しました。
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私たちの仲人は、大浦武彦教授ご夫妻です。
大浦教授婦人には、お会いしていますが、他の先生の奥様にお会いするのははじめてです。
家内も、緊張して参加しました。
写真で判別できるかどうかわかりませんが、
最後列、左から2人目が私(当時27歳)。
その、左下が家内(当時25歳)です。
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最前列が、大浦武彦教授ご夫妻。
その左が、皮膚科の三浦祐晶教授ご夫妻。
右が、形成外科の濱本淳二助教授ご夫妻です。
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最後列は、左から、現在、北海道がんセンター形成外科の皆川英彦 (みなかわ ひでひこ)先生。
私。
元、北海道大学病院長の杉原平樹(すぎはらつねき)先生。
蘇春堂形成外科、理事長の新冨芳尚(しんとみよしひさ)先生。
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前から、2列目、左から、みなかわ眼科の皆川玲子先生(皆川英彦先生の奥様)。
札幌市病院事業管理者、市立札幌病院長の吉田哲憲(よしだてつのり)先生と奥様。
現在、北海道で有名な形成外科医はほとんどこの写真に写っています。
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写真に写っている先生で、残念なことに故人となられてしまった先生もいらっしゃいます。
最後列、右から5人目が、野崎敏彦先生です。
野崎先生は、栃木県でお父様の病院を継いで、形成外科を開業していらっしゃいました。
北大航空部に所属し、グライダーの名手でした。
残念なことに、平成11年(1999年)にグライダーが墜落して亡くなってしまわれました。
野崎敏彦先生が作られたHPは、亡くなってから10年近くも経つのに、まだ健在です。
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大学病院の医局制度については、とかく悪い面ばかりが強調されています。
私は、医療技術の継承。
地域医療に対する貢献。
など、良い面もたくさんあったと思います。
私が、現在こうして開業医として生活できるのも諸先輩の教えのおかげです。
もう一度、若い日に戻って、新年家族会に参加できたら…と思います。
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昭和57年1月4日
北大形成外科新年家族会