院長の休日
片寄登喜子83歳の誕生日
今日1月20日は家内の母、
片寄登喜子かたよせときこの誕生日です。
1934年(昭和9年)、
島根県簸川郡斐川町ひかわ郡ひかわ町で生まれました。
実家は農家です。
Goolgeマップで見ると、
宍道湖しんじこの西端、
出雲空港の近くです。
■ ■
住み込み奉公
2008年10月18日の院長日記に書いてあります。
家内の母、片寄登喜子(74歳)は、
島根県で洋裁学校に通い、
洋裁の技術を身につけました。
結婚後は内職で洋裁をしました。
コシノヒロコさんの仕立てをするほどの
技術力になりました。
私がはじめて家内の実家に行った時に、
工業用ミシンがあったのを覚えています。
■ ■
札幌美容形成外科で使用している、
手術用の被布(おいふ)
(手術の時に使うグリーンの布)
はすべて、家内の母に縫ってもらいました。
職員が着ている制服の、
丈(たけ)を直してくれるのもの、
家内の母です。
若い時に身につけた技術は生涯役立ちます。
■ ■
2008年には74歳でした。
83歳でも元気です。
今でも私のズボンや、
手術用被布を直してくれます。
♡プロの腕♡です。
私の母親と同じマンションに住んでいます。
(別の階の別の部屋です)
島根→大阪→神戸→札幌と転居しました。
2005年に北海道に来て、
10年以上になります。
■ ■
命日(めいにち)
…に書いたように、
平成5年(1993年)4月6日に夫が、
急性心筋梗塞で亡くなりました。
その時は59歳でした。
娘が北海道に嫁に来ていたので、
島根県生まれの登喜子さんが、
札幌市民になりました。
■ ■
83歳になっても元気です。
マンションで、
iPadを使って、
私の院長日記を読んでくれています。
私との連絡は、
LINEです。
ひ孫の写真もiPadで見ています。
これからも元気で札幌美容形成外科の
専属洋裁師として、
活躍して欲しいと願っています。
“片寄登喜子83歳の誕生日”へのコメント
コメントをどうぞ
奥様のお母さんの誕生日を知っているなんてすごいですね。
昔の人はすごいと思います。ありがたいですね。
神戸から札幌へ。大変な決意と思いますが、いいお婿さんだつたのでは?幸せな姿を見た気がします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。誕生日は義母、命日は義父と覚えています。いい婿ではなくいい息子でもいい旦那でもありません。口うるさいと家内に言われています。
お母様 お誕生日おめでとうございますm(_ _)m。 私の母も 1月1日で85歳になりました。家の母も和裁教室に結婚前通っていたそうで、針を見るのすら嫌いな馬鹿娘の 繕い物をしてくれていましたが、最近めっきり 年をとり、裾上げは クリーニング店でサイズ直しとかもしてくれます。 でもお母さんすごいです。あのこしのひろこですよね。何年か前に朝ドラでコシノヒロコさんの一生が放送されてました。お母さんいつまでもお元気で 本間先生を助けてくださいね。叔母も和裁の高校をでたので 地味な 手さし を作ってくれるのですが、 洋裁なら違うのかな。 私ももっと洋裁を習えばよかったと後悔したのは子供が保育園に入る時お母さん手作りの手提げとズック入れを持ってきてくださいといわれだ時 でした。子供に手作りの手提げも作れない自分にがっくりしました。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。義母の腕はすごいです。開院以来12年間使ってもほつれない糸の技術は最高です。これからも元気でがんばってほしいと願っています。
お母様、お誕生日おめでとうございます!
以前にも伺いましたがコシノヒロコさんの
ブランドの服を縫ってたなんて凄いです。
今後も先生の病院の専属として
頑張ってほしいですね。
亡き母と同じ年にお生まれになったのですね。
生きていたら83歳なんだと思いました。
母の分まで長生きしていただきたいです。
実のお母様と階数は別とは言え同じマンションとは
心強いですね。
いいお婿さんだと思いました。
お母様も、奥様もお幸せですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私はいいムコではありません。ただ札幌に来てから病気になったり入院したりしました。その時には役立ったかも?です。亡きお母様と同い年だったのですね。ばあさん2人助け合って仲良く暮らしています。息子としてもありがたいことです。
先生のお母様と同じ建物に住んでるんですね。
しかもあのコシノヒロコさんの仕立てをしていたのですか。すごい方ですよね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。義母の洋裁の腕はプロです。すごいですよね。島根県生まれですが北海道に来ました。これも何かの縁です。