昔の記憶
母親の納骨
今日は2024年10月14日(月)です。
昨年11月7日に亡くなった母親の納骨をしました。
本間家の墓は札幌市の平岸霊園にあります。
私の祖父、
本間紀一が47歳の時、
昭和10年(1935年)に札幌市の山鼻墓地やまはなぼちに建立。
札幌市の事業により平岸霊園に移転しました。
■ ■
先祖からいただいたものはこのお墓だけです。
家も土地もありません。
本間家は、
私の祖父のおかげで、
札幌市でもお墓の一等地である、
平岸霊園にお墓があります。
■ ■
私は先祖が建立したお墓を、
形や大きさはできるだけそのままにして、
2013年10月に、
四国の島本石材工業の島本壽さまに建て直していただきました。
花壇も昔のままにして、
私がラベンダーを植えました。
■ ■
残念なことに島本壽ひさし様は2016年にお亡くなりになってしまいました。
ご子息の島本健一郎様に、
母親の骨壺に死亡年月日を彫刻していただきました。
今日は弟もきていっしょに納骨をしました。
今日の納骨でようやく一区切りです。
次に納骨されるのは私の番です。
もう少し長生きして働くつもりです。
“母親の納骨”へのコメント
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お天気に恵まれて、弟様も、
ご一緒に無事に納骨を終えられて
良かったです。
おつかれさまでした。
山鼻から平岸へ移転しなくては
ならない、そのようなことが
あったのですね。知りませんでした。
きれいなラベンダーが咲いている
お墓は、見たことがないです。
ご先祖様も喜ばれていると思いました。
そして、本間先生にはまだまだ、
お元気で、ご活躍されることを
応援していらっしゃると思います。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。秋晴れのいいお天気の中で無時に納骨ができました。やれやれという思いです。弟とは一時期、喧嘩をしていて不仲でした。東札幌病院でバアさんの付き添いをして仲直りできました。バアさんがよろこんでいると思います。次は私の番ですが、もう少し働いてから順番待ちをします。ご声援ありがとうございます。
納骨、お疲れ様でした。
弟さんもいらして
ツーショットいいですね。
骨壺に死亡年月日を
彫刻出来るとは
知りませんでした。
素晴らしいですね。
私は父の骨壷に紫
母の骨壷に赤のリボンを
付けました。
これで区別が付きます。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。骨壺に名前と死亡年月日を入れたのはお墓を建て直した時からです。本間家の古いお墓には骨壺に入った骨もありましたが、粗末な木箱もありました。昭和初期でお金がなかったのかなぁ~?と思います。お墓をつくってくださった島本様のご提案で新しい骨壺に名前と死亡年月日を入れました。骨壺を入れないお墓もあるようですし、そのまま土に撒布して土に返す方法もあるようです。うちのお墓には石でできた骨壺が入っています。
天気がよくて家族に囲まれての納骨、お母様も安心していらっしゃることでしょう。
改めてご冥福をお祈りいたします。
次は先生なんて事はないです。
ある日突然不慮の事故で亡くなる人もいるのですから。
お疲れ様でした。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。お天気を心配していましたが秋晴れのいいお天気でした。ちょっとだけ紅葉していてきれいでした。さくらんぼさんにご指摘いただいたように、父親が亡くなった時よりインパクトがありました。存在感のあるバアさんでした。うちのバアさんは親戚の中で最長寿でした。ある日突然不慮の事故で亡くなる方もいらっしゃるのに95歳まで長生きできて、しあわせな人生でした。私の両親は生前、さくらんぼさんにコメントをいただいてありがたいといつも申しておりました。御礼申し上げます。