昔の記憶
形成外科医の兼業(けんぎょう)
大学病院に勤務する医師の給与は、
想像以上に低いものです。
医師の給与という、
2007年2月4日の院長日記に書きました。
私が研修医になった昭和55年(1980年)頃は
研修医の給料が一番安かったのが、
なんと慶応病院でした。
あの有名な‘王選手まで手術した’
慶応義塾大学病院の研修医の月給が約3万円。
北大病院の研修医が約10万円でした。
慶応病院はお給料が安くても
たくさんの研修医が集まるため
高くする必要がなかったのだと思います。
■ ■
研修医だけではなく…
医学部の教授職でも…
大学からいただくお給料は高くありません。
大学病院のお医者さんは、
学会出張もありますし、
高価な外国雑誌の年間購読料。
高価な医学書。
高価な学会参加費。
たくさん入っている学会の年会費。
お金がいくらあっても足りません。
■ ■
独身のうちや、
共働きだと大丈夫ですが…
子どもの教育費がかかるようになると…
生活はとても大変になります。
私は家内から…
大学のお給料ではやって行けませんと…
何度も言われました。
それほど薄給でした。
■ ■
結婚が決まってから、
北大病院の給与明細を見せた時に…
絶句されたのを覚えています。
私の研修医としての給与は、
手取り10万円未満。
ボーナスも無しでした。
家内が勤めていた会社は、
大手のお給料が良い会社でした。
短大卒後4年目で、
私の2倍以上の手取りがありました。
■ ■
大学病院に勤務する医師が、
海外出張にも行けて、
学会にも参加して、
何とか生活して行けるのは、
兼業(けんぎょう)というアルバイトのおかげです。
国公立大学ですと、
兼業届(けんぎょうとどけ)というのを提出して、
許可を得てアルバイトへ行きます。
■ ■
医師不足の世の中ですから…
地域医療のため。
高度な技術が必要なため。
他に手術ができる医師がいないため。
技術指導のため。
さまざまな理由をつけて、
兼業を許可してもらいます。
不許可になることはまずありません。
■ ■
ところが…
チェー店の○○美容外科で、
美容外科研修のために、
兼業を許可してください…
という兼業願はいかがでしょうか?
少なくとも…
私が知っている先生で、
堂々とチェーン店の美容外科へ行った先生はいません。
だいたいは、
休日である土日などに、
こっそりと行っていました。
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国公立大学の場合は、
土日でも営利企業でのアルバイトは禁止です。
スタッフと呼ばれる、
助手以上の教員は、
この兼業規定が厳しくなります。
症例数が多い、
チェーン店の美容外科で、
美容外科を研修しようとしても、
なかなか難しいのが現実です。
私がアルバイトに行っていたのは、
函館にある病院でした。
褥瘡(じょくそう)の処置などをしていました。
“形成外科医の兼業(けんぎょう)”へのコメント
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函館の病院にいらしていた時は、そんな色々な現実があるとは知りませんでした。
でも地方のあまり大きいとは言えない病院で、先生の技術は目から鱗でした。それから形成に勤務はできませんでしたが、外科の手術のある病院に勤めたきっかけにはなり、いまだにその見た技術は私の宝です。