昔の記憶
英語赤点
高校時代の思い出です。
赤点=落第点。
札幌西高校の規定は
平均点の4割以下と記憶しています。
私は、
北海道夕張市の山奥、
大夕張(おおゆうばり)の、
鹿島(かしま)中学校を卒業して、
札幌西高校へ入学しました。
■ ■
大夕張では、
そこそこ成績は良かったのですが、
札幌へ出てきて、
成績が急降下しました。
大夕張でも、
一番になったことはありませんでした。
当時の成績優秀者は、
生徒会長になった、
菊池久子さんという女生徒でした。
聡明な方でした。
■ ■
札幌西高校で一番苦労したのが、
英語でした。
入学式の翌日に英語のテストがありました。
全英連(ぜんえいれん)
全国英語教育研究団体連合会
という団体のテストでした。
高校入試を終えて、
そこそこ英語にも自信があったのが、
難しくて壊滅(かいめつ)状態でした。
■ ■
すっかり自信をなくして、
英語は不得意科目になりました。
5月にあった…
高校一年生はじめての中間試験。
英語の文法、
札幌西高では、
composition(コンポジション)
を略してコンポと呼んでいました。
このコンポがダメでした。
■ ■
毎日、必死に勉強したのに、
100点満点の24点でした。
21点以下が赤点だったので、
かろうじてセーフでしたが、
生まれてはじめて24点なんて点を取りました。
札幌の有名中学校を卒業した同級生には、
楽勝だった人もいました。
学校を辞めたくなりました。
■ ■
勉強の仕方もわかりませんでした。
高校一年生の本間賢一少年は、
英語の辞書が、
手垢で黒くなるまで、
何度も繰り返して開きました。
他の教科も含めて、
勉強で苦労していました。
とても医学部へ入れるレベルではなく、
将来の展望も持てませんでした。
■ ■
医師免許を取得して30年になります。
今は不得意だった英語で話せます。
高校一年生で、
英語が赤点だったのに、
なんだか不思議な気がします。
世の中、努力すればできるものです。
私の実感です。
“英語赤点”へのコメント
コメントをどうぞ
先生の努力には敬服いたしております。
息子は仕事上 海外からの英語での電話がかかってくるため 英会話教室に通ってますが大学を卒業したのにレベルは初級だったそうです。先生の話しを聞かせましたら、「頭のできが 俺達とは違うんじゃないかなあ」 私は 「気力と努力も頭にプラスされておられたからかなあ」と答えました。 そういう私も たいした高校にははいりませんでしたが、高校でただ一人二年生の時 英検1級が受かりました。ただ文法だけでスピーチはなかったので まぐれでした。でも 英語を使う事もなく 留学も反対されたので 40年以上も英語を勉強していないと まったくわからなくなりました。これがほんとの役に立たない検定試験だったと思います。 先生の努力はすごいです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございました。高校2年生で英検一級はすごいことです。進学校でもなかなか取れません。
ご子息には、地道に、毎日、ラジオ講座を聴くことをおすすめします。通勤時間に車のステレオで聞く方法もあります。私は、帯広⇔札幌の車中で英語会話をかけたので、家族からは文句を言われ、私以外は寝ていました。
ペーパー試験と英会話の違いでしょうか。私も英語は苦手でした。
先日、事務職員の面接をしました。校内推薦で成績優秀な資格も沢山持っている子達でした。
やっぱり社会に出ると言う事は成績ではないんだ!!マニュアルどうりの受け答えには個性は見られず・・・・ちょっぴりガッガリした一日でした。
こんばんは!
私も札幌西高卒です。英語は先生とは逆に、入学後初のテストでほぼ満点。
その後、下降の一途を辿りました(笑)
やはり毎日の努力に勝るもの無しですね。
今は任天堂DSで暇つぶしに『英語漬け』で遊ぶ程度、、、
今では苦手だった英語を話せる先生、本当に尊敬します!
中学へ行ったら習うからと、アルファベットもままならないまま進学した私は、中学1年1学期の中間試験、成績は77番でした。高校に進学できるかも(100番以内なら東高へ入学出来ると聞いていました)と、ちょぴり喜んだものです。5人家族の末っ子で6畳2間の我が家では机を与えては貰えませんでした。
1番を取ったと言うHKさんを廊下の窓から眺めに行った記憶があります。彼女はその後東高から青山学院大学に進学、参議院事務局に就職したと聞いています。12年程前に府中の森市民プールで見かけたことがありますが、声は掛けられませんでした…
懐かしい名前を拝見し、つい筆を取った次第です。