昔の記憶
本間寛88歳の誕生日
今日(平成26年3月4日)は、
私の父、本間寛(ほんまゆたか)の誕生日です。
満88歳になります。
1926年(大正15年)生まれです。
1926年12月25日から昭和元年の年が、
大正15年です。
父親と同年代の人は、
第二次世界大戦に召集されました。
■ ■
札幌工業高校木材工芸科の学生だった父は、
太平洋戦争に召集されたくないので、
徴兵免除になった…
東北薬学専門学校に進学し、
薬剤師になったと聞いています。
いろいろな道があったものです。
こんなことを書くと昔なら非国民です。
■ ■
本間家は裕福ではありませんでした。
私の祖父は郵便局とか国鉄に勤務。
祖母は和裁の仕事をしていたそうです。
薬剤師になったのは、
渡辺崋山から伝わるという…
万病に効く家伝薬が理由のようです。
私も小さい頃に飲まされました。
■ ■
父のきょうだいは、
姉(他界):薬剤師
父:薬剤師
妹(他界):養護教諭
弟:医師
妹:音楽教師
大正から昭和生まれなのに…
5人のきょうだいが全員専門学校以上の教育を受けています。
■ ■
本間家には、
財産もなく…
家屋敷もありません。
でも…
教育という財産を先祖は残してくれたのだと思います。
繁忙期で忙しいので…
誕生祝いは6日の休診日にします。
ボケないで元気でいて欲しいものです。
“本間寛88歳の誕生日”へのコメント
コメントをどうぞ
お誕生日おめでとうございます。私の母の姉も88才のお祝いをしました。赤いちゃんちゃんこをきた叔母は笑っていました。 私の両親はどちらも8人姉妹兄弟で貧乏だったので高学歴の人はいませんし。父の姉は赤十字の看護師で結核に感染し24才で離れで亡くなったそうです。
本間先生のお父様、私の愚息も本間先生の励ましで看護師と理学療法の道に進みました。一人前になるまで見守ってくださいね。
お誕生日おめでとうございます。
健やかな一年で有ります様に。
本当に皆さん立派な経歴の持ち主で、お金もかかっているでしょうが努力家さんなのだと思いました。
突然のメール失礼します。
そして、見当違いであるかも
しれないという事も先にお伝えした上で
お話させてください。
私の祖母は本間喜多と言います。
北海道で生まれもう
すでに
数年前、他界しております。
その祖母が私に明治時代からの先祖の古い
写真のアルバムを私に託してくれました。
その中には祖母の父が国鉄に勤め
宮内大臣から送られたものも残っています。
どうしても、本間のルーツを知りたく
戸籍をたどりました。
明治時代、北海道に入る前は
新潟県西蒲区福井町という町で
甚四郎という先祖でした。
私からたどり6代前の方です。
新潟市役所では
それ以上は戸籍からは
たどれませんでしたが
本間の菩提寺を見つけ出す事が出来
私を1代と考え8代前(247年前)のお婆さん
まで過去帳より見つける事ができました。
アルバムからは
古い北海道の郵便局の写真も残っていました。
その写真を北海道の標茶町郷土館の方に
みてもらい調べてもらいました。
幾品郵便局と写真にはありまして
調べてもらいましたら
郵便局の記録にやはり
本間の名前が載っていたようです。
その郵便局の前には3人の方が映っており
兄弟にあたる方でしょう
との回答でした。
祖母喜多の兄、正一は
斜里で病院を任され
兄の病院の手伝いをしたとの
内容の手紙も祖母から受け取っています
祖母、喜多は
長女セツ 医者である長男正一
から始まり 祖母は
12人兄弟の下から二番目です
父は4人兄弟の次男として斜里で生まれ
私は3人兄妹の長女にあたります。
それなのにも関わらず
本間の先祖達の古い貴重なアルバムを
私に残してくれた先祖の写真をみるたびに
ルーツに対しての想いが強くなりました。
標茶町郷土館からは
とても貴重な写真なので
是非とも寄贈して頂きたいとのお話があり
先祖も喜んでくれるんではないかと感じ
何枚かですが寄贈させてもらいました
どこで、途絶えたのかはわかりませんが
本間は以前 財閥だったとの話も聞いており
酒田の本間とももしかしたら関係があるのではと思っていたので
そのような家柄で
明治時代の写真が残っていたのかもしれません
本間さんの内容が
私の調べた本間のルーツにとても
近かったので
もしかしたら…との気持ちが消えず
突然の長文で本当に失礼だと思いながらも
お話させて頂きました。
お忙しい中
読んでくださりありがとうございました。
小林 藤乃
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございました。残念ですが私の先祖、本間紀一とは関係がないようです。2009年のブログ【本間家のルーツ】に漫画史研究家の本間正幸(ほんま まさゆき)様からコメントをいただきました。私の家は佐渡島にルーツがあるようです。本間正幸様にお聞きになってください。