院長の休日
父の日
今日は『父の日』です。
私の父親は83歳になりますが、
まだ元気です。
毎年年末になると…
『○○が死んだ』とか
『残っているのはあと○人だ』
とかよく言っています。
私の父親は大正15年(1926年)生まれです。
■ ■
父親の世代は、
級友の多くが第二次世界大戦へ、
徴兵されたそうです。
父親は、
札幌工業高校の木材工芸科という、
家具などをつくる学科へ進学しました。
薬学専門学校へ行くと、
徴兵免除になったので、
仙台の東北薬学専門学校へ進学しました。
■ ■
戦争中の仙台で空襲に遭(あ)い、
山へ避難して難を逃れたと、
私が子どもの頃に聞きました。
途中の防空壕(ぼうくうごう)で、
学生さんここに入りなさいと、
親切に言ってくれた人がいたそうです。
父はその防空壕へは入らず、
山へ逃げたそうです。
■ ■
空襲が終わって、
山から下りる時に、
その防空壕は焼夷弾(しょういだん)に撃たれ
防空壕の人たちは亡くなっていた。
あの時、
逃げていなかったら死んでいたと、
聞かされた覚えがあります。
子どもの頃に聞いた話しを
何故かよく覚えています。
■ ■
父親は煙草を吸い、
酒もよく飲んでいました。
さすがに高齢なので、
酒も煙草も止めました。
『お前は、(患者さんが来るから…)
酒も飲めないで可愛そうになぁ~』
と言われたこともありました。
酒を飲まないのは、
身体に合わないからで、
別に可哀想とは思いませんでした。
■ ■
父親と私は…
好みも性格も違うと思っていました。
ところが…
DNAとは恐ろしいもので…
年齢を重ねる毎に、
父親のDNAを受け継いでいることに気付きます。
体質はよく似ています。
お腹が弱いところも似ています。
短気なのも似ています。
嫌になりますが、
DNAには逆らえません。
■ ■
短気だった父親も、
年齢とともに温厚になりました。
よく喧嘩もしていましたが、
最近は喧嘩をしなくなりました。
今日の父の日には、
両親と家内の母親も誘って、
琴似の鮓佐(すしさ)さんへ、
回らないお鮨を食べに行きました。
また来年も行きたいと願っています。
私と83歳の父です
父の日おめでとうございます。
私の父は 昭和5年の早生まれです。 ぼけないで 欲しいのですが 愛犬が亡くなってから 散歩の日課もなくなり 足腰が弱くなってきました。でもこのへんの 年寄りはみんな農作業を手伝っていて 手先を使うためか ぼけ てる方は少ないです。
だから母は 足を悪くした 父を 畑に毎日連れて行き 父は 杖をついて畑にいます。
今年は忙しく 特別な事はしませんでしたが、A県に住んでいる妹から 朝 父の日コールがありました。
先生も お父様と 高級なお寿司で お祝いされて よかったですね。お父様、いつまでも お元気で お過ごしくださいね。
83歳とは思えない位若々しく、元気そうですね。父の日のお寿司、お父様も嬉しかったでしょうね。
防空壕の中に入らず、山の中に行ったのは何か感じるものがあったかも知れませんね。
そのおかげで命を落とさずにすんでよかったですね。
親からのDNAは受け継いでしまいますよね。私もあれだけイヤだった実母のDNAを引き継いでしまった!と今思っています。これがイヤな部分だけ引き継いでしまうものです。
父の日、おめでとうございます。お父様も長生きして下さい。
なんだかいい写真で、仲が良いのが伝わってきますよ。
私の父親は私が子供のころ離れ離れになり今どうしているかもわかりません。
父の日の記憶は子供のころ、白いカーネーションをあげたような・・・
素敵な写真ですね。
いつまでも父の日も母の日も祝ってあげてください。
父の日、改めましておめでとうございます。優しいそうなお父様ですね。
お鮨いいですね。先生がお好きとおっしゃってました甘えびちゃん♪は召し上がれましたでしょうか。私もお鮨、食べたくなりました。
時々拝読していましたが、初めてコメントします。
私は先生には何度もお世話になっており、すっかり常連です。今月も診ていただきました。
美容整形を何度も受けている私ですが、いまだに不安に慣れることはありません。ですが本間先生のことは信頼しているので安心して手術が受けられるのです。
ですから先生を産んでくださったご両親には私からも感謝したいです(^^)。というわけでコメントさせていただきました。
そしてもちろん先生にもずっと元気でいてほしいです。