院長の休日

父の日

 今日は『父の日』です。
 私の父親は83歳になりますが、
 まだ元気です。
 毎年年末になると…
 『○○が死んだ』とか
 『残っているのはあと○人だ』
 とかよく言っています。
 私の父親は大正15年(1926年)生まれです。
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 父親の世代は、
 級友の多くが第二次世界大戦へ、
 徴兵されたそうです。
 父親は、
 札幌工業高校の木材工芸科という、
 家具などをつくる学科へ進学しました。
 薬学専門学校へ行くと、
 徴兵免除になったので、
 仙台の東北薬学専門学校へ進学しました。
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 戦争中の仙台で空襲に遭(あ)い、
 山へ避難して難を逃れたと、
 私が子どもの頃に聞きました。
 途中の防空壕(ぼうくうごう)で、
 学生さんここに入りなさいと、
 親切に言ってくれた人がいたそうです。
 父はその防空壕へは入らず、
 山へ逃げたそうです。
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 空襲が終わって、
 山から下りる時に、
 その防空壕は焼夷弾(しょういだん)に撃たれ
 防空壕の人たちは亡くなっていた。
 あの時、
 逃げていなかったら死んでいたと、
 聞かされた覚えがあります。
 子どもの頃に聞いた話しを
 何故かよく覚えています。
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 父親は煙草を吸い、
 酒もよく飲んでいました。
 さすがに高齢なので、
 酒も煙草も止めました。
 『お前は、(患者さんが来るから…)
 酒も飲めないで可愛そうになぁ~』
 と言われたこともありました。
 酒を飲まないのは、
 身体に合わないからで、
 別に可哀想とは思いませんでした。
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 父親と私は…
 好みも性格も違うと思っていました。
 ところが…
 DNAとは恐ろしいもので…
 年齢を重ねる毎に、
 父親のDNAを受け継いでいることに気付きます。
 体質はよく似ています。
 お腹が弱いところも似ています。
 短気なのも似ています。
 嫌になりますが、
 DNAには逆らえません。
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 短気だった父親も、
 年齢とともに温厚になりました。
 よく喧嘩もしていましたが、
 最近は喧嘩をしなくなりました。
 今日の父の日には、
 両親と家内の母親も誘って、
 琴似の鮓佐(すしさ)さんへ、
 回らないお鮨を食べに行きました。
 また来年も行きたいと願っています。


私と83歳の父です

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