昔の記憶
けんちゃん不登校の歴史
私は小学校一年生の時に、
不登校になりました。
…というより、
先生に『帰れ』と言われたので、
素直に家に帰りました。
親がびっくりして、
小学校へ行きました。
■ ■
帰れと言われた日、
私は鼻水が出ていました。
当時はポケットティシュなどというのはなく、
チリ紙という薄い紙を、
何枚も重ねて持って行きました。
チリ紙を忘れたのか、
足りなくなったのか?までは覚えていません。
■ ■
とにかく鼻水が出てくるので、
授業中に鼻汁をすすっていました。
口の中にたまるので、
自分の席の横にあった、
手洗い器の樋の部分に、
口の中の鼻水を吐き出しました。
■ ■
それを、
担任の藤沢全先生が見つけました。
たんなんて汚いものを
そんなところに吐き出してはいけない
小学校一年生のけんいち少年を叱りました。
帰れが先だったか?
先生が私を連れ出そうとして、
私が暴れたのが先だったか忘れました。
■ ■
私も先生の眼鏡を取って、
床に落としました。
先生はますます怒って、
私は教室を出されました
よほど印象に残ったのか?
先生の名前も状況もよく覚えています。
そんな状況でした。
■ ■
親が学校に謝りに行って、
先生の眼鏡も壊れなかったので、
弁償もせずに済みました。
当然、
私の学業成績はふるわず、
学校も好きではありませんでした。
幼稚園は大好きだったのに、
小学校は嫌いになっていました。
■ ■
私はできの悪い子でした
身体も弱く、
小学校一年生の時には、
よく学校を休んでいました。
ひょっとすると、
私がよく学校を休んだのは、
こんな出来事が原因だったのかも?
…と60歳になってから思います。
■ ■
不登校だった、
けんいち少年も、
小学校2年生の担任だった、
加藤先生のおかげで、
私が学校好きになって、
成績が伸びました。
加藤先生は字が上手な先生でした。
よく家庭訪問に来てくれました。
■ ■
私を家に帰した藤沢全先生も、
よほど気になる子供だったのか、
茶志内に引っ越してから、
一度、遊びに来てくれました。
その時には、
私が成長したことをよろこんでくれました。
先生も気になっていたのでしょう。
今になってネットで検索すると、
藤澤全先生というお名前が見つかりました。
同じ先生かどうかわかりませんが、
なつかしい名前です。
“けんちゃん不登校の歴史”へのコメント
コメントをどうぞ
ペルテスという病気は本間先生のブログで知りました。今も 罹患される子供さんがおられるのでしょうか?
私も体が弱く小学1、2年は半分行ったでしょうか?二年の終わりに扁桃腺摘出、中学一年で鼠径ヘルニアを手術してから今まで何度手術したかわかりません。 学校は最後まで好きではありませんでした。今でこそ太っていますが、中学のあだなが まんとひひ、とえぐれのさくらんぼさん、そう私は33キロしか体重がありませんでした。 それがコンプレックスでした。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございました。ペルテスは今でもあります。ネットで検索すると保護者の方が作られたHPもありました。
酷い先生ですね。
小1ですよ。
判断がつくわけがありません。
読んでいてムカつきました。
でも翌年になり、良い先生に出会いよかったです。
iPhoneが不安定でアップルに電話をかけたら
アップデートをするように言われしました。
アプリの中が空になりました 涙
今日は3時間半も電話し、くたくたになりました。
なのに、ひらがな変換になるのは直ってなかったです。
先生のブログにも入力したのに一度はじかれました。
ショックでしたー。
先生のiPhoneは調子いいですか?
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。藤沢先生も若かったのでしょうね。ネットで検索した先生が、担任の藤澤全先生だったらとても偉くなられたようです。小学校4年生の頃に、茶志内という田舎まで訪ねてくださったのは、先生も気になっていたからだと思います。今でも私と同じような子どもさんがいないとも限りません。不登校の子どもにもよく話しを聞いてくれる人がいたらいいと思います。今の私なら『どうしたの?具合悪いの?鼻水が出るの?ティッシュあるょ』くらいを言うと思います。
私のiPhoneは今のところ調子はいいです。