昔の記憶

私の大学時代

 中学校・高校と不遇でモテなかった私でも、
 医学部へ入学するとモテるか?
 という幻想を抱いていました。
 結果は?
 医学部の学生だから、
 モテたということはありませんでした。
      ■         ■
 当時も合コンなんてのがありました。
 同級生の誰かが企画しました。
 私も数回参加したことがありました。
 また、ダンス講習会というのもありました。
 札幌医科大学○○部主催、
 ダンス講習会!
 場所:札幌医科大学体育館
 会費:○○円
 よくクラブの部費稼ぎに企画していました。
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 今にして思うと詐欺みたいなものです。
 会場の札幌医科大学体育館とは名ばかり…
 古いお寺のような建物でした。
 そこが札幌医科大学体育館。
 とてもボロでした。
 ダンス講習会の券を購入していただいたのは、
 札幌市内の
 女子大や女子短大、
 専門学校の女子学生さんでした。
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 私は券を売る担当はしたことがなかったので、
 値段は覚えていません。
 そんなに高くなかったと思います。
 ダンスの先生として、
 ボールルームマルヤマという、
 ダンス教室の先生がいらしてくださいました。
 一応、本格的に社交ダンスを教えてくれました。
 HPを探したところ、今でもありました。
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 友人や先輩から言われました。
 ダンス講習会に行ったら…
 ‘彼女’が見つかるから!
 と私も参加しましたが…
 結果は×でした。
 素敵な彼女は見つかりませんでした。
 スロースロー
 クイック クイック
 という言葉だけは覚えていますが、
 社交ダンスも覚えられませんでした。
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 私の同期には、
 入学時に結婚していた人、
 すでに子供がいた人、
 他大学を卒業してから入学した人、
 いろいろな経験を積んだ、
 人生の先輩がたくさんいました。
 そんな‘先輩’から、
 『本間、焦るな!必ず彼女見つかるから!』
 とよく励ましていただきました。
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 大学時代には失恋もしました。
 とても落ち込みました。
 試験前の大失恋で、
 試験が危なかったこともありました。
 こんなことがあるのが、
 青春時代なのだと思います。
 今となっては懐かしい想い出です。
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 結局、大学時代に知り合った人の
 友人だったのが家内です。
 最初は年賀状を出す程度の関係でした。
 まさか、この人と結婚するとは…
 夢にも思っていませんでした。
 家内いわく、
 たまたまタイミングが合っただけ?
 選んだのは自分たちです。
 選択の誤りがあっても自己責任。
 30年後が今の私です。


1978年、24歳でした。
忍路(おしょろ)海岸です
北大臨海実験場近く
30年前の私です。

“私の大学時代”へのコメント

  1. ススキ より:

    先生こんばんは!
    先生にもそんな時期があったんですね!でも、今はすごく美人で可愛らしい奥様ができて良かったですね!
    出会いというものはやっぱり縁なのでしょうか?いつ、どんな出会いがあるかわかりませんね。私も、あそこであの人に出会ってなければ・・・ということがあります。最初はこんなに気が合うとは思わなかった、長い付き合いになるとは思わなかった・・・とか、恋人に限らず友人にもいます。
    出会いは大切にしたいものですね♪

  2. さくらんぼ より:

    なんだか年を取ると 昔の事が懐かしくなります。父母を見ていると 自分も のんびり余生を送るなどできそうもありません。 毎日 毎日 働いています。自分の人生だものね。。。
    今日もがんばりましょう!先生!

  3. さくらんぼ より:

    私も ダンスを習っていました。機会がありましたら 一緒に踊りましょう(笑) ジルバが好きでした(笑) でも 体力が 続くか心配ですが。。 もてる もてないは その人の性格によると思います。でも先生は 関西から 素敵なお嫁さんが来てくださったし お友達もたくさんいて 素敵な出会いをされたと思います。 (^з^)-☆

  4. 敦子 より:

    お久しぶりです
    携帯で美容の事で検索していたら、本間先生の日記を偶然見つけました

    2006年に片方だけ下がった瞼に悩み、先生に二重にして頂いた娘の母です

    その前に、私も昔、北大の医局で皆さんにお世話になりました。とても懐かしいです。中でも本間先生はとても印象深く、娘がお世話になるまでしっかり覚えていました

    とても繊細で真面目なイメージでしたよ。私は結婚前で、最初は先天異常の赤ちゃんを何人も目にして自分も授かったらどうしよう?なんて不安になったりもしましたが、日々先生たちの技術の素晴らしさに、感動するばかりでした。

    医局を去るときには、こんなに綺麗になるなら指6本で生まれてきても大丈夫だ、なんてあの頃思ったことがありました。

    年月が経ってまた本間先生に出会えて、そして娘が、この手術によって、明るく学校生活、ファッションを満喫出来ていることに本当に感謝しています

    人から見れば大したことしゃないかもしれないけれど娘にとってはこの片目がすべてに幕をかけてたように思います。

    後に息子までが、同じ片目の為に髪で隠していましたが、先生に手術して頂いた日から、親バカですが、それはそれは偉いモテようで親子共々大満足の日々をおくっています

    先生の仕事は眼科先生もベタ褒めでしたよ
    綺麗で、キチンとした仕事してますねって。

    私も長年、眼科に勤務してましたが手術したあとに、糸が出てきて、眼球を傷つけて目も開けれなくなって、泣きながら助け求める患者さんはかなりいましたよ
    それを見ていたので、娘が眼科受診したときに、やった後もわからないと、しまいには本当にやったの?やはり私の思っていた通り、技術の高さに、誇らしく思いました。

    先生、日記もしっかり見ました。先生の考え、私も影ながら応援しています。

    とにかく、とにかく、体が基本なので、気をつけて、今後も、是非、悩める人を救ってくださいね

    長々とすいませんでした

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