昔の記憶

忘れられない味

 北大病院近くの、
 札幌市北区北13条西4丁目の角に
 味の広龍(あじのこうりゅう)というお店があります。
 開店してから、もう45年くらいになるそうです。
 私が北大病院の研修医になったのが、
 1980年(昭和55年)でした。
 当時は土曜日も外来診療がありました。
 札幌市内の総合病院で形成外科があったのは、
 北大だけでした。
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 当時の北大形成外科は、
 患者さんであふれていました。
 手術を申し込んでも、
 手術日は未定。
 まともに待っていると、
 手術を受けられるのは、
 2~3年先でした。
 (2~3ヵ月ではなく、‘年’です)
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 医師免許証をいただいても、
 手術ができるわけではなく…
 研修医の私は、朝9:00から、
 上の先生がいらっしゃる前に、
 予診(よしん)という問診をして、
 ポラロイド写真を撮って、
 外来診療の準備をします。
 上の先生がいらした後は、
 処置をしたり、
 手術や入院の説明をしたり…
 何もできないけれど、一生懸命に働いていました。
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 当時は25歳でした。
 とにかく外来は混んでいました。
 順調に終わって、
 土曜日でも13:30とか14:00までかかりました。
 外来が終わってからも、
 新患台帳という厚い台帳に記入したり、
 手紙の返事を代筆で書いたり…
 とにかく、忙しく働いていました。
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 今でこそ、
 15:00頃まで昼食を食べなくても平気ですが、
 当時は若かったのか、
 とにかく‘腹ペコ’になりました。
 最後の方になると…
 ‘腹へったなぁ~’しか考えられなくなります。
 そんな時、
 当時、講師だった
 ‘杉さん’こと、杉原平樹(すぎはらつねき)先生が、
 『腹へっただろう、出前とってやるよ』
 と私たち研修医に、
 広龍から出前をとってくださいました。
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 私が頼んだのが、中華飯でした。
 出前が早く来たので、
 私が食べる頃には冷めていましたが、
 丁寧にラップがかかっていました。
 ラップを取って食べた
 その中華飯の美味しかったこと。
 今でも杉原先生にご馳走になった
 その味が忘れられません。
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 昨夜、15年ぶりくらいで
 その中華飯を食べました。
 おじさんは少し歳をとっていらっしゃいましたが、
 味は昔のままでした。
 北大病院でかつて働いていた偉い先生も
 たまにいらっしゃるそうです。
 忘れられない味は誰にでもあるようです。
 私は今でも…
 冷たくなった中華飯が好きです。

“忘れられない味”へのコメント

  1. 函館の看護師さん より:

    忘れられない味・・・私にはあるのかな?と考えてみました。
    5年半くらい前に夫と二人駆け落ちしました。
    その時は何にもお金もなく、洋服も何もかにも持ってなかったので二人でこれからどうやって生きていこう・・・なんて悩みながら・・・

    函館には魚長というスーパーがあります。そのスーパーは100円ショップもやっていてそこでおにぎりを1つ、3個入ったコロッケを買って二人で分け合って食べました。純粋に普通のお惣菜でしたが今でも私はその味は忘れていません。
    海水浴場の駐車場に1日ただ二人で時間をつぶし、1つのおにぎりを分け合った
    味は私の今でも思い出の味だな・・・と貧乏でもあの時が、一番幸せだったと思いだしました。先生と奥さまのサニーに乗っていた時代のように・・・

  2. さくらんぼ より:

    先生、昔食べたお店がまだあって よかったですね。私の知り合いの仙台の婦人科医故M先生は 私の町の病院に若い時勤務しておりましたが その時たまに出前で たべるKというお店のうな重の味が忘れられないというので いらした時はそこのうな重にきも吸いをつけて 山形名物 もってのほか菊のおひたしで 昼食を食べていただきました。あの頃は携帯などなく、時折なるポケベルで病院に電話をされていました。先生がなくなる前に そのお店は閉店してしまいました。
    奥様といらした時とか娘さんがふたりいらした時は 山形の そば を食べてこられたようです。もう うなぎ屋さんもM先生もいません。今日も写真の先生は笑っていらっしゃいました。

  3. ダックス より:

    わたしも函館の看護婦さんのように考えてみました(>_<)母親の手料理かなと思いました。今でも実家に行き近所なのですが(笑)ご飯を食べると美味しいって思いますし見習います。
    後は季節の匂い?で昔を思い出したり懐かしく思います。秋の乾いた空気や春の雪が溶けた空気が好きなんです。人は匂いでも記憶されるらしいですよ☆なるほどと思いました。
    先生の日記を読み懐かしく思ったので母親が小さい頃によく作ってくれたカボチャのドーナツを今から作ります(^-^)

  4. さくらんぼ より:

    前記に書いたのは特別の日のメニューで 貧しかったので 甘い物もなく 残ったごはんを洗い 干して 油であげ 砂糖をかけたおやつを母がよく作ってくれました。あとは カレーも肉ではなくさば缶でした。あと忘れられないのは お風呂は 木を燃やして沸かしていましたが リンゴの剪定枝などでしたが そこから 木虫がでてきて それをあぶって食べると とてもこおばしくて 忘れられない味であり 肉や魚などあまり 食べられなかった 私たちの貴重なタンパク源でした。山形では たんぼにいるいなごを 佃煮にして食べます。足がついたままです。自宅でも作りますが スーパーでも売ってますよ。それも 貴重なたんぱく・カルシューム源です。

  5. まみ子 より:

     杉原先生と私が働いている診療所の理事長とは、医学生時代からの大親友です。私は杉原先生の手術の器械出しをした事があります。その後先生は形成外科の教授になられ、今考えてみると大変光栄な事です。杉原先生は昔から優しくて素敵な方でした。
     何年か前、札幌で学会があった時に杉原先生と理事長と私の3人ですすきののクラブでお酒を飲んだ事がありました。二人の会話は学生時代に戻った様なとても微笑ましい感じでした。男同士の友情って良いなぁーとつくづく思ったものです。先生から『杉さん』のお名前を聞き私にとっては忘れられないお酒の味を思い出しました。

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