昔の記憶
手術用顕微鏡の想い出
私が市立札幌病院へ赴任したのが、
平成元年4月(1989年)、
今から20年前でした。
当時の市立札幌病院は、
現在、ヤマダ電機がある場所でした。
私は形成外科医でありながら、
皮膚科医師として採用されました。
形成外科がなかったからです。
■ ■
大きな病院や、
大学病院に、
形成外科を作るのは大変でした。
新しい標榜科目を開設したり、
医師の定員を増やすには、
札幌市議会の承認が必要でした。
形成外科を作るには、
予算も必要です。
赤字の病院には予算がありませんでした。
■ ■
私が赴任しても、
形成外科の手術に必要な手術器械がありません。
他科の器械で間に合うものもありましたが、
細かい手術をするのに必要な、
専用の手術器械がありませんでした。
私の仕事は、
まず、必要最低限の器械のリストを作って、
院長決裁をいただくことからはじまりました。
■ ■
この手術器械…
意外と高価です。
例えば…
組織や糸を切る鋏(はさみ)、
鼻毛切りの鋏を…
ちょっと大きくした程度でも、
ドイツ製のよく切れる…
スーパーカットという鋏は、
一つ1万円以上しました。
針を持つ持針器(じしんき)というのも、
先が細い特殊なものは一つ数万円もしました。
■ ■
中でも高価だったのが、
手術用顕微鏡でした。
ドイツ製の高性能の顕微鏡。
お値段は…
ドイツ製高級車の…
最上位車種より高価でした。
定価は一台2,000万円以上しました。
とても買っていただけませんでした。
耳鼻科や眼科、脳外科には、
それぞれ専用の顕微鏡がありました。
■ ■
今から考えると…
他科の顕微鏡でも使えないことはありません。
他科の顕微鏡を使うには、
対物レンズを交換したり、
付属品を交換する必要がありました。
見る目的が違うため、
微妙に違うのです。
一番困るのは、
他科が使っている時は使えないことでした。
それにレンズ一個買うにも
数十万円もしました。
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困った私は、
担当副院長に相談して、
メーカーから借りて…
手術用顕微鏡を使っていました。
高級車を来年は買うから…
試乗車を貸してください。
とタダ乗りしていたようなものでした。
ある患者さんの手術を予定して、
顕微鏡を借りる手配をしていました。
■ ■
手術の直前になって…
代理店から…
『申し訳ございません』
『顕微鏡の手配ができませんでした』
と連絡がありました。
手術予定はすでに立ててあり、
患者さんは手術を待っていました。
外傷による組織欠損だったため、
手術が遅れるとそのまま回復も遅れます。
■ ■
私は患者さんと家族にお詫びしました。
正直に…
申し訳ありません
手術用顕微鏡の手配ができず…
手術が延期になります…
若い男性患者さんで、
職業は整備士さんでした。
市立病院で…
設備がないから手術できないなんて…
いったいどういうことですか?
■ ■
お怒りはごもっともです。
ただひたすらお詫びするだけでした。
担当副院長にも来てもらって…
私といっしょに謝ってもらいました。
なにぶんにも…
予算がなく…
お怒りはごもっともで…
何とも歯切れの悪いお詫びでした。
■ ■
私は、次の手術日を確約し、
代理店が、
学会でその顕微鏡を使うことを、
失念していたたこと。
安易に手配ができたと連絡してきたこと。
他の代理店に変えて、
次の手術日には、
必ず手術用顕微鏡が手配できることをご説明して、
患者さんからお許しをいただきました。
■ ■
こんな苦い想い出がある…
手術用顕微鏡です。
その翌年には、
別の内科系副院長が、
本間くん、困っているって聞いたよ
と言って、
ポンと顕微鏡の予算を付けてくださいました。
その時にどんなに嬉しかったかは、
20年経っても忘れられません。
大変高価なものなんですね。
なかなか簡単に予算がつくわけでもないのが現実ですかね。
先生方が苦労して 調達や予算を組んでいただき使用していたなんて 患者の立場の私はよく知りませんでした。ただ 大学病院などでは 研究費など は上の方が 科に分配すると聞いた事があり 上から よく思われていないと大変なんだろうなと 思います。
本間先生のご苦労が見えるような今日のブログ内容でした。
優しい先生がいらつしゃった事に感謝ですね。違う科であっても救わなくてはいけない患者様としては同じだと思うんです。
外傷や組織欠損などは、早く治療しないと傷の経過など左右されたりします。
その先生に感謝ですね。