昔の記憶
若者には無限の可能性がある
決して諦めるな!
若者には無限の可能性がある!
私の好きな言葉です。
新成人へ贈る言葉2013-②
という2013年1月14日の院長日記や、
数学と医学
という2007年12月25日に書いてあります。
■ ■
来年還暦を迎える私は、
決して頭の良い子どもではありませんでした。
学校で一番になったことはありません。
地域で一番優秀な高校でもありませんでした。
クラスでもトップになったことはありません、
どちらかというと…
青白い顔をした
神経質そうな少年でした。
■ ■
私が医師免許を取得できて…
こうして医師として働いていられるのは…
たくさん先生のおかげです。
一番印象に残っているのは、
予備校時代に教えていただいた、
生物の矢野雋輔先生(やのしゅんすけ)です。
■ ■
世の中には頭のいい人がいます。
私の頭は凡人なので…
他人より多く勉強しました。
高校生の時も…
彼女もいない不遇な青春時代でした。
何度も繰り返し書いています。
■ ■
私が人生で一番勉強したのは…
医科大学ではありません。
予備校です。
一番記憶に残っている講義は、
予備校の講義です。
大学受験ラジオ講座も忘れられません。
■ ■
私の好きな言葉が無限の可能性です。
若者には…
無限の可能性がある。
決して…
あきらめてはいけない。
昔、旺文社の大学受験ラジオ講座で、
勝浦捨造先生が、
くりかえし述べられたお言葉です。
■ ■
勝浦先生の担当は数Ⅰ(すういち)。
数学の基礎です。
先生の関西なまりのあるお言葉、
今でも覚えています。
一度や二度の失敗で、
くよくよするんでない!
と北海道弁で言います。
■ ■
受験は自分との闘いです。
人生も自分との闘いがよくあります。
センター試験前の時期は…
誰でも弱気になります。
『もうだめだ…』
『また、来年もかぁ…』
…と考える時期です。
私自身がそうでした。
■ ■
私は、毎年、必ず矢野先生のことを想い出します。
矢野雋輔(やのしゅんすけ)先生は、
藤女子大学の教授でした。
私が通った、
桑園予備校(現在はありません)
札幌予備学院(現、河合塾札幌校)で、
生物の講義を担当してくださいました。
苦手だった…
生物の分類を
『お経(きょう)のように覚える』記憶法
…を教えてくださいました。
■ ■
単調になりがちな…
生物の講義を、
楽しく、興味深く教えてくださいました。
矢野先生がいらっしゃらなかったら…
私は医学部へ合格できなかったと思います。
もちろん医師にはなれませんでした。
■ ■
高校~予備校の
受験生の頃…
見たいTVもがまんして…
彼女がいた友人を…
横目で羨ましく思いながら…
毎日、必死で勉強していました。
■ ■
あぁ~~!
今日もまた寝ちゃった!
ここまでやろうと思ったのに…
あぁ~~!
また同じ問題を間違った!
これで3回目だ。
あぁ~~!
また同じ単語の意味を忘れた!
前回、辞書を引いたのは、
つい一週間前だ。
(私は辞書の単語に日付をつけて、
何回、同じ単語を引いたか記録していました)
■ ■
こうして苦労して勉強していました。
合格発表の日まで、
自分が合格する自信はありませんでした。
私の生き方は…
この受験生時代に築かれたようにも思います。
後輩の先生が、
私のことを…
ストイックだと言ったことがありました。
良い意味なのか…?
悪い意味なのか…?
わかりません。
■ ■
決して諦めるな!
若者には無限の可能性がある!
この言葉を…
私と同じように…
努力している若者に贈ります。
がんばれ!
いつかきっといいことがあるょ。
“若者には無限の可能性がある”へのコメント
コメントをどうぞ
患者様のためになりたいと義父の病気、死、私と母の手術、リハビリ、私のめいの肺ガンとの闘い、死、そして本間先生との出会いが医療の世界に踏み入れたきっかけでした。正直30才では遅いのではないか心配しましたが、いろんな社会経験をしてきたことがプラスになっていると思います。人生は長いのでその中の4年と考えればがんばれますし応援しています。くじけそうになるといつも励ましてアドバイスくださった本間先生本当にありがとうございます。
若者よ、あきらめるな!
んー長い人生が待ってますもんね。
50歳の私が人生をやり直せるのかな?
意識不明の母、認知症の父をかかえて
1人で生きていくのは厳しいです。心細いです。
主人と初めて喧嘩して二人で泣きあった日々が懐かしい。
もう主人は忘れてしまったんでしようね。
私は大学入学に際して浪人はしませんでしたが,予備校についてなんとなくwebで調べていた時,ふと札幌の矢野先生のことを思い出して検索してこのページに辿り着きました.矢野先生には縁があって,札幌のお宅にも泊まりにいったりしたことがあります.大学の友人に予備校の先生しているみたいと話したら「生物の矢野先生?〇予備で教わったけど最高の先生だった,先生がいたから厳しい浪人生活も無事過ごせた」みたいな話をしていました.何が予備校でそんなにすごかったのか…今になって私個人として非常に興味が湧いてきています...
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私の札幌医大の同級生には、札幌予備学院の医進コースから一緒だった友人が何人もいます。あいうえお順の出席番号だったため、本間→前川は予備校から大学卒業まで続きました。自分が講義をする側になってからは、矢野先生の講義に少しでも近づこうと思ってました。『(予備校は)人生で一番ロマンチックな時期』という矢野先生のお言葉を思い出します。矢野先生の情熱とお人柄が特別だったのだと思います。藤女子大学教授だった矢野先生が北海道社会貢献賞を受賞された時に、恩師の奥様から教えていただきました。