昔の記憶
桂信雄・元札幌市長ご逝去
今日は2020年11月24日(火)です。
札幌は寒いです。
昨日雪が降りました。
今日も雪の予報です。
自転車通勤はあきらめました。
とうとう札幌がGO TOから外れます。
仕方がないことですが飲食店やホテルが心配です。
土産物屋さんも心配です。
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2020年11月24日、北海道新聞朝刊の記事です。
桂信雄・元札幌市長死去 90歳 清田区創設、キタラ開設
1991年から2003年まで3期12年間、札幌市長を務めた桂信雄かつら・のぶおさんが11月16日午後1時40分、病気のため札幌市内の病院で死去した。90歳。札幌市出身。葬儀・告別式は家族で行った。
桂さんは北大卒業後、1953年に札幌市役所に入庁。北区長、教育長、助役などを経て1991年の札幌市長選で初当選した。
市長としては「世界に誇る文化都市」を提唱。1997年に豊平区の一部を分区して清田区を創設したほか、同年、札幌コンサートホール・キタラ(中央区)を開設した。2001年3月には、第三者の立場で行政を審査する「市オンブズマン制度」を道内市町村で初めて導入した。
スポーツ振興では、2001年6月に開業した札幌ドーム(豊平区)の運営会社社長を兼ね、サッカーJ1コンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)の本拠地としたほか、2002年のサッカーワールドカップ(W杯)を誘致。2004年に実現したプロ野球北海道日本ハムの札幌ドームへの本拠地移転の立役者でもあった。
主な公職では財団法人札幌国際プラザ、さっぽろ産業振興財団の各理事長のほか、シンクタンクの北海道二十一世紀総合研究所の社長などを歴任した。
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「行政マン」誇り強烈 桂信雄・元札幌市長死去 評伝
政治家はとかく、ごまかしが見えたりする印象があるが、その対極にいるような、とても正直な人だった。
1991年から2003年まで札幌市長を3期務めた桂信雄氏が亡くなった。
思い出深いのは、北海道新聞が2002年7月に桂氏の4選不出馬を特報した日の記者会見だ。
桂氏の4選を画策する市幹部からは「報道を否定する『怒りの会見』になる」と伝えられた。だが、取材を基に「引退を前提に市幹部に後継探しを依頼しましたよね」と質問すると、桂氏はあっさり認めた。
助役出身の桂氏は「行政マン」としての誇りを強烈に持った人でもあった。それは、引退を胸に秘めた会見でも「私が見て、いかがなものかという方だけが(市長選に)手を挙げるのなら、傍観できない」という発言にもにじんだ。
桂氏の後任を選ぶ市長選は、その言葉とはまったく違う方向へ進むことになった。市職員出身の候補者は現れず、民間出身者が乱立。再選挙の末に、弁護士の上田文雄氏が当選を果たした。
桂氏は札幌コンサートホール・キタラや札幌ドームの建設などの業績を残した。それでも、40年以上も助役出身者が市長を務め、共産党や市民ネットを除く「総与党」体制を築いた桂市政からの「政権交代」を求める機運が市民に広がっていた。
時代の変わり目だった。桂氏は引退会見で、相次ぐ都市基盤整備で市財政が厳しさを増す中、市民にも我慢や覚悟が必要になると「苦い薬」に言及して、市民に協力を呼びかけた。
桂氏の3期目に秘書課長だった秋元克広市長も2期目から共産党を除く「総与党」に支えられる。最後は決して本意とは言えぬ引き際になった桂氏は、秋元市政をどう思っていたのだろうか。それが聞きたかった。(論説委員 高須賀渉)
(以上、北海道新聞より引用)
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心からご冥福をお祈りいたします。
私が市立札幌病院に勤務した時の市長さんでした。
私は市立札幌病院皮膚科の技術職員として札幌市に採用されました。
皮膚科専門医ではなく、
皮膚科のトレーニングも受けていませんでした。
実際に毎日行っていたのは、
救急部に搬送された外傷患者さんの処置や手術でした。
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皮膚科主任医長の島崎匡先生の総回診に出ること、
皮膚科から紹介された皮膚癌の手術をすることが、
私が皮膚科技術職員としてしていたことです。
私が今でも皮膚科を標ぼうしないのは、
皮膚科専門医ではないのと、
形成外科だけでやっていきたいからです。
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外来は皮膚科外来の場所を使わせていただき、
週2回だけ形成外科の外来診療をしていました。
形成外科を札幌市民に知ってもらいたい
…という私の強い思いを聞いてくださったのが、
当時の市立札幌病院事務局長、
佐々木利幸さんでした。
先生、市長に会ってください
私のような若造の医者を市長に会わせてくださいました。
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桂市長は私の訴えを聞いてくださり、
札幌市の広報さっぽろに、
市立病院の形成外来を掲載してくださいました。
とてもうれしかったことを30年以上たっても覚えています。
私がJA帯広厚生病院に転勤してから、
街で市長を引退された後にお会いしたことがありました。
私のことを覚えていてくださり、
先生お元気ですか?と声をかけてくださいました。
ほんとうに立派な市長さんでした。
心からご冥福をお祈りしています。
“桂信雄・元札幌市長ご逝去”へのコメント
コメントをどうぞ
心からご冥福をお祈り致します。
本間先生、お会いになってたのですか。
広報札幌に市立病院の形成外来を
掲載して頂いたなんて
名誉なことですね。
その上、市長をご引退された後も
先生を覚えて下さったなんて
私まで感激です!
先生は本当に色々凄い方ですね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。私が市立札幌病院に在職中には桂信雄市長さんをはじめとして、たくさんの方にお世話になりました。今でも感謝しています。心からご冥福をお祈りしています。
寒さが増してきました。
春から秋へ通勤お疲れさまです。
また暖かい季節まで自転車は
お休みですね。
飲食店、ホテル業、
観光に関連する仕事が本当に心配です。
明るい声が聞けません。
コロナの収束を切に願います。
桂信雄さん、さまざまな偉業を
成し遂げた方なのですね。そして
本間先生とご縁があったのも
記事に正直な人との事なので
通じるものがあったのかと
思いました。コロナ禍について
もどうお考えになったのか
気になります。
心からご冥福をお祈りいたします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。桂信雄市長さんは私のような者の声にも耳を傾けていただきほんとうにうれしかったことを今でも忘れません。市立札幌病院の形成外来は事務局の好意でできました。私は札幌市の技術職員として市民のために働こうと思いました。すばらしい市長さんでした。心からご冥福をお祈りしております。
元市長さんの事は存じ上げあげませんが、正義感に溢れ、誠実な方だったのでしょうね。ご冥福を心からお祈りいたします。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。札幌市を愛し札幌市を大きく育ててくださった市長さんです。ご立派な市長さんでした。心からご冥福をお祈りいたします。
本間先生がお若い時も会って意見を聞いて下さる、市民目線で(元)市長は偉大な方だったんですね。ご冥福をお祈りします。
『2001年3月には、第三者の立場で行政を審査する「市オンブズマン制度」を道内市町村で初めて導入した。』とありました。行政を第三者の立場で審査するって中々、出来ることじゃないのに素晴らしいと感じます。
市市長や区長によって政策が違いますね。地方で混雑する道路はバイパスをつくったり(県、市、区のどの管轄かによります)、駅周辺や、まちが活性化するようにしたりしてたりしますね。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。たとえ小さなことでも職員や市民の声に聞く耳を持ってくださった市長さんでした。ご逝去をおしむ声が新聞に載っていました。心からご冥福をお祈りしています。