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医師の給与

 日記に釧路労災病院に勤務していた時のことを記載したところ、興味深い内容だったとご意見をいただきました。
 一般の方はお医者さんのお給料のことなどあまり知る機会がありませんね。お医者さん=お金持ち。というのが一般的な考えでしょうか?
 一般企業でしたら、大きな会社=お給料がよい会社。というイメージで、業績にもよると思いますが、上場企業の方が中小企業よりもお給料が高いのが一般的でしょう。
 医師の給料は、大きな病院=給料が安い病院。と言っても差し支えないと思います。私が研修医になった昭和55年頃は研修医の給料が一番安かったのが、なんと慶応病院でした。
 あの有名な‘王選手まで手術した’慶応義塾大学病院の研修医の月給が約3万円。北大病院の研修医が約10万円でした。慶応病院はお給料が安くてもたくさんの研修医が集まるため高くする必要がなかったのだと思います。
 北大形成外科の大浦武彦教授はとても公平な先生でした。研修医が出張先を決めるのも、‘教授命令’ではなく研修医が自主的に決めていました。出張先によって月給が10万円単位で異なっていました。年収にすると100万円単位の差がありました。労災病院のような公的病院は(当時は労働福祉事業団という労働省の外郭団体が経営していました)、全国一律の給与規定により給与が決まっていました。当然、院長から研修医まで民間病院よりずっとお給料は安かったのです。
 ①民間≒村立>②町立>③市立>④国立の順番に給与は高く。①僻地・離島>②田舎>③地方都市(特急の停車する市)>④都会の順に給与は高くなります。
 田舎へ行くと子供の教育ができない。デパートがないので奥さんに嫌われ単身赴任させられる。などの理由で医師が赴任したがらない土地ほど給与が高いのです。
 当然といえば当然の理由ですが、田舎では村長より給与が高い先生がゴロゴロいたと聞いています。
 医師が給与だけで病院を決めていたかというと、そうでもありません。私たち北大形成外科の研修医は研修委員会という研修医の組織をつくり、そこで話し合いで決めていました。ただ、同期3人で3箇所の病院を選ぶ際には、最後は‘じゃんけん’や‘くじ引き’で出張先を決めていました。じゃんけんで負けたばっかりに、年収で100万円以上の差が付くこともありました。
 私はお給料のことはあまり考えていませんでした。じゃんけんで負けたかどうかは覚えていませんが、自分が当たった病院で精一杯頑張るようにしていました。家内と二人でしたから大学の給料と比較すると、どこへ行っても十分に生活して行けました。釧路労災病院へ行った時も休日に阿寒や知床などをドライブするのが楽しみでした。こうして私の医師としての青春時代が過ぎて行きました。

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