昔の記憶
JR北海道中島社長の死を悼む
平成23年9月12日から行方不明だった、
JR北海道の中島尚俊社長(64)が、
平成23年9月18日に遺体で見つかりました。
心からご冥福をお祈りいたします。
とても残念で悲しい気持ちです。
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私は中島社長とは面識もなく、
JR北海道の一利用者に過ぎません。
それでも…
私より7歳年上の社長さんが、
石狩灯台近くで行方不明になってから、
毎日、ニュースを気にして見ていました。
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北海道新聞には、
一面にトップ記事で紹介されていました。
以下は、
ネットで検索した読売新聞の記事です。
心労気づけず悔い(くい)…小池会長、言葉詰まらせ
失踪から丸6日、北海道小樽市沖でJR北海道の中島尚俊社長(64)が遺体で見つかり、この日も無事を祈って捜索を続けていた同社社員らは、スーツに着替えてあわただしく出社した。「真っ先に戦線を離脱することをお詫(わ)びいたします」。18日夜の記者会見で中島社長がパソコンのタイプ打ちで自宅に残した書き置きには社員への謝罪が記されていたことが公表され、同社幹部は「心労を分かってあげられなかった」と悔やんだ。
同社によると中島社長とみられる遺体発見の知らせが道警から入ったのは9月18日午前10時半頃。経営陣が急きょ、札幌市中央区の本社に集合し対応を協議した。午後6時頃、死亡が確認されると緊急の記者会見が決まった。
午後7時半、会見場に姿を現した小池明夫会長(65)と柿沼博彦副社長(68)ら幹部4人は、うつむいたまま無言で着席。冒頭、小池会長は「遺体が本人と確認されましたので、謹んでこの悲報を発表します」と前置きし、「中島の書き置きの中に『社員の皆様へ』というのがあり、この場で公表します」と述べると、用意した紙に目を落としながら、社長の書き置きをかみしめるように読み上げた。
9月12日の失踪以来、同社は延べ約180人の社員が捜索に当たり、小池会長は18日も捜索に加わっていた。小池会長は、9月9日午後、本社で中島社長と会い、16日に国土交通省へ提出する改善措置や行動計画がほぼ固まったことから「9合目を越えたね」と声をかけ、再出発を誓い合ったことを明かした。終始冷静に受け答えをしていたが、最後に会った様子を聞かれると、「疲れがたまっていたとは思うが、気にするほどではないかなと思っていた」と述べ、「社長とは同期で、性格は十分に分かっていたと思っていた。こういう事態になり、本当に分かっていたのかと自問せざるを得ない」と言葉を詰まらせた。
失踪の理由については、5月にJR石勝線で起きた特急の脱線炎上事故で、国交省から事業改善命令を受け「不名誉な処分を受け、改善措置をまとめるなかで心労が蓄積したのだろう」と推測した。
書き置きは社員あて以外にも同社幹部4人あてがあった。いずれも短文で失踪への謝罪やこれまでのお礼が書かれていたという。
柿沼副社長は「謙虚に、人の能力を上手に引き出して仕事をされる方だった」と振り返り、島田修常務(53)は「事実をきちんと受け止められない」とショックを隠せない様子だった。
(2011年9月19日、 読売新聞より引用)
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中島社長の書き置き
社員のみなさんへ
○毎日、それぞれの持ち場で、安全輸送、接客、収入確保、経費節減に取り組んでいただき有難うございます。
○この度の36協定違反では、長期間にわたって協定に違反する事態が発生しており、社員の皆さんに多大なご迷惑をおかけしたことを、お詫びいたします。
○現在、5月27日の脱線火災事故を反省し、全社をあげて企業風土の改善などに取り組んでいる時に、真っ先に戦線を離脱することをお詫びいたします。
○当社は、年間に日本の人口とほぼ等しい、1億3000万人の方にご利用いただいています。これだけ多くのお客様の尊い命をお預かりしているという事実を認識し、「お客様の安全を最優先にする」ということを常に考える社員になっていただきたいと思います。
○長い間のご支援、ご協力ありがとうございました。(自筆で中島と書かれていました)
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どんなお気持ちで、
PCでこの文章を作成したのかと思うと…
とても悲しくなります。
JR北海道は、
国鉄の民営化によってできた会社です。
北海道は広く…
人口が少ない地域がたくさんあります。
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本業の鉄道業だけでは、
絶対に赤字の会社です。
その中で、
JR札幌駅の改築や、
JRタワーの開業などで、
がんばっています。
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職位はまったく違いますが、
私の家内の父親も、
64歳で心筋梗塞で亡くなりました。
平成5年4月6日でした。
64歳はまだまだ若すぎます。
義父も国鉄マンでした。
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退職時には、
尼崎保線区長で、
線路のプロでした。
私は義父から聞くまで…
保線区が線路の草刈りまでするとは…
まったく知りませんでした。
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私の感想ですが…
国鉄マンには、
実直で真面目な人が多いと思います。
中島社長は、
旭川北高校から、
東大経済学部へ進学されたエリートでした。
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国鉄時代には、
大ヒットした、
フルムーンパスの企画にたずさわったそうです。
残された奥様には、
おかけする言葉も見つかりません。
中島尚俊(なかじま なおとし)社長のご冥福をお祈りいたします。