昔の記憶
社会人入学
私が一浪で札幌医大に入学したのは…
1974年(昭和49年)4月です。
今から39年前です。
当時の入学定員は100人でした。
私が入学した年から…
定員80人が100人に増えました。
20人増えたので合格できたのかも…?です。
■ ■
同級生で…
子どもがいる人が3人いました。
3人ともお父さんでした。
会社勤務を経て…
札幌医大の入学試験を受けて…
みごとに合格した人たちです。
■ ■
当時は社会人枠などというのはありませんでした。
高校を卒業した人たちと同じように…
入学試験を受けて合格したのです。
最高齢は26歳だったと記憶しています。
今から考えると若いお父さんです。
働きながら試験勉強をして…
学生時代は家庭教師のアルバイトをかけもちして…
生活費を稼いでいました。
■ ■
社会人を経験した人たちは…
教室では…
○○さんと…
さん付けで呼ばれていました。
自分たち若造とは違って…
頼りになる兄貴分でした。
■ ■
兄貴たちには常識もありました。
お通夜の礼儀作法。
香典袋の書き方。
手紙の宛名の書き方。
いろいろな常識を教えてもらいました。
アルバイトをしながらの学生生活でしたが…
留年者は一人もいませんでした。
■ ■
勉強をしなかった私と違って…
お父さん学生はとても真面目に授業を聴いていました。
途中で授業を抜け出す人もいませんでした。
生活がかかっているので…
6年間で卒業して…
早くお医者さんになって…
稼がなければ…
…という思いがあったと考えます。
■ ■
お父さん学生の子どもさんは…
立派に成長されました。
私の記憶が正しければ…
子どもさんたちも…
お父さんと同じ医師の道に進まれました。
全員とても良いお医者さんです。
昨日の40歳で娘と同じ看護学科へのお嬢さんも…
お母さんが勉強する姿に魅力を感じたので…
看護師を選ばれたのだと思います。
札幌からお二人のご活躍を祈っています。
“社会人入学”へのコメント
コメントをどうぞ
ほとんどの医療系専門学校とか大学は高校推薦を多く採るようで 社会人入試、一般入試で合格するのはほんのわずかです。娘さんと一緒に合格されたお母さんも 大変努力された結果だと思います。多分少しの時間でも図書館に行き必死に勉強していたのだとおもいます。ほんとに医療系は今人気で一回や二回では受かりません。 18歳くらいの生徒と一緒に勉強して行く事は想像以上に大変だと思いますが、若い子には負けてられないという気持ちがでるようでがんばれるようです。
先生の26歳のお父さんは常識人ですが我が家の愚息は多分 あまり香典とか手紙もメールが多く、経験がないので知らないことが多いと思いますが、18歳の生徒より少し長く生きてきた分なんとかカバーできてるかなあと思います。 私は 学生にはなれないので陰で支えたいと思います。
45歳で勉強はやめました。もう記憶力の限界です。
姑は70歳ですが、常識のない所があります。
主人に言わせると田舎者だからだそうです。
考えてみると札幌とはやはり違う気がします。