昔の記憶
平成の思い出①
昨日、新元号【令和】が発表されました。
平成は、
私にとって実にたくさんのことがありました。
平成元年1989年4月1日に、
札幌市に採用されました。
市立札幌病院皮膚科の【技術職員】でした。
皮膚科医ではないのに、
名札は【皮膚科】でした。
■ ■
私は34歳でした。
私の医師としての青春時代を、
市立札幌病院で過ごしました。
充実した30代後半でした。
平成7年1995年1月1日付で、
JA帯広厚生病院に赴任しました。
十勝の1月はとても寒かったです。
■ ■
JA帯広厚生病院で私を迎えてくれたのが、
現在、筑波大学形成外科教授の関堂充先生でした。
平成10年1998年3月31日でJA帯広厚生病院を退職し、
私は札幌中央形成外科の副院長に採用していただきました。
平成10年1998年9月1日から、
札幌医大形成外科の講師になりました。
残念なことに追い出されてクビになりました。
私にとって人生初の失業でした。
今から考えても一番辛かった時期でした。
“平成の思い出①”へのコメント
コメントをどうぞ
本間先生の人脈の広さは学会や研究会に沢山出席しておられるのと先生のお人柄だと思います。
医師にも人を押しのけてでも白い巨塔に登りつめるタイプとコツコツ勉強して患者のために尽くすタイプです。本間先生は後者で私の脊髄腫瘍を見つけてくださった皮膚科の先生も後者です。本間先生からは色々助けていただき、皮膚科の先生からは巻き爪で入院した私が脊髄腫瘍とわかり泣いてご飯も食べなくなった時、1日に何度も励ましに来てくれました後者のような先生が私は大好きです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。さくらんぼさんの皮膚科の先生はとても優しいですね。医者の鏡です。白い巨塔はまだあると思います。医者としての喜びは患者さんに喜んでいただくことです。さくらんぼさんの果物でお客さんが喜んでくださるのと同じです。私もりんごのおかげで元気です。感謝しています。
本間先生の人生の軌跡を
お聞きしてから、
お医者さんになれば仕事や
生活に何の心配もないと
思っていた自分が無知
だったと思いました。
そして信念を曲げず自分に
正直に生きる ことの難しさも
知りました。困難を乗り越えて
こられた本間先生にとって
「令和」が良い時代となりますように
願っております。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。人生にはいろいろなことがあります。自分も失業するとは思っていませんでした。令和の時代が良い時代になることを願っています。
以前に先生が罠にハメられた件を拝読し、
私まで辛くなりました。
今思い出しても涙が出そうになります。
先生はこのようなことをバネにして
強く優しくなられたのですね。
とても前向きに生きていらっしゃいます。
明日は退去事件のお話でしょうか?
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。いいことも悪いこともあるのが人生ですね。自分を助けてくれた人の恩は忘れないものです。明日はよかったことを書く予定です。毎日悪いことばかりだと気がめいりますので、、、毎日読んでいただきありがとうございます。