今から26年前。昭和58年(1983年)9月20日。函館市本町33-2、社会福祉法人函館厚生院函館中央病院で、長女が生まれました。その日は今日のように天気が良く、私が出勤する時に、家内を車に... 続きを読む コメントはまだありません
市立札幌病院に勤務していた、ある時期のことでした。救急部に一人の女性が搬送されてきました。現在、北海道大学救急医学講座教授の... 続きを読む コメントはまだありません
明日は私の55歳の誕生日です。昔でしたら…定年退職の日です。今でも…公務員には、勧奨退職という制度があり、55歳で退職すると…退職金が15%割増しされるそうです。民間企業に勤務する友人に... 続きを読む コメントはまだありません
医者は失業しない。大学教授には、失職の心配がない。ふつうの人は、こう思います。ふつうの人であった私も、自分が失業するまでは、職を失うと思ったことは…一度もありませんでした。大学の医局に在... 続きを読む コメントはまだありません
私が小学生~中学生の頃に、学研(学習研究社)の…科学という月刊誌がありました。小学校とか…中学校で…先生が斡旋(あっせん)して売ってくれた月刊誌です。この学研の科学に、毎月、付録がついて... 続きを読む コメントはまだありません
濱本淳二先生がお亡くなりになってから、今日でちょうど一週間です。昨日が初七日でした。濱本先生は、昭和7年3月20日生。私と22歳違いです。22歳の年齢差は、ちょうど自分の20年後の姿を、... 続きを読む コメントはまだありません
私が1980年に北大形成外科へ入局した時、教授が大浦武彦先生、助教授が濱本淳二先生、講師が杉原平樹(つねき)先生でした。大浦先生はおおうら先生。濱本淳二先生ははまさん。杉原平樹先生はすぎさん。... 続きを読む コメントはまだありません
濱本淳二先生は、函館中央病院診療部長から、札幌東保健所の所長にご就任されました。今から、20年くらい前のことでした。先生がちょうど50代の半ば頃…つまり…今の私と同年代でした。■... 続きを読む コメントはまだありません
濱本淳二先生はエッセイストです。2009年8月に文藝春秋社から発行される、日本エッセイスト・クラブ編2009年版ベスト・エッセ... 続きを読む コメントはまだありません
形成外科医の間で、濱本淳二先生といえば…両側唇裂とマンチェスター法です。濱本先生は、唇顎口蓋裂治療の中でも、もっとも難しいと言われる…両側唇裂の権威でした。■... 続きを読む コメントはまだありません