医学講座

地震から一年

 今日は2019年9月6日(金)です。
 ちょうど一年前の2018年9月6日午前3時7分に、
 北海道ではじめての、
 震度7の強い地震がありました。
 北海道胆振東部地震がありました。
 その後に北海道全体がブラックアウトになりました。
      ■         ■
 困ったのは地震の揺れより停電でした
 停電で困ったのは、
 トイレが使えないことでした。
 水が出ないということが、
 こんなに困るとは思いませんでした。
 地震の後は、
 お風呂の湯を抜かないようにしていました。
      ■         ■
 ところが、、、
 一年もたたないうちに、
 お風呂の湯は抜くようになり、
 ばけつ2杯の水も、
 バケツ1杯になりました。
 マンションのエレベーターが止まり、
 階段で水を運んだのも忘れ、
 ペットボトルの水のストックも6本だけです。
      ■         ■
 私の家だけだと思いますが、
 のどもと過ぎれば、、、
 一年もたたないのに忘れています。
 地震で感じた、
 脚力の大切さはまだ維持しています。
 電池のストックもあります。
 ノートPCのバッテリーも大丈夫です。
 東京2020の時に、
 首都圏で大地震が起きないことを願っています。

“地震から一年”へのコメント

  1. なっちゅん より:

    あれから1年になるのですね。

    停電とは大変な事だと
    思い知らされました。

    非常袋は枕元にあります。
    電池もトイレの水も沢山用意してますが
    飲料用の水をまだ用意出来てません。

    友人も私も保存食の期限が過ぎてしまい
    放置してます。

    備えなければいけませんね。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。コンビニの棚から商品が消えスーパーからも商品が消えたことを忘れています。水は運ぶのがとても重いので、トイレの水くらいは準備しなければと思っています。もう二度と経験したくはありませんが、災害は忘れた頃にやって来るのだと思います。備えあればですね。

  2. えりー より:

    もう1年が過ぎたのですね。
    我が家は水が出たのでトイレの
    心配はなく過ごせたのですが
    油断はできないと思います。
    先日、本間先生の日記を拝読
    して飲料水1ケースと黒い大きな
    ゴミ袋を購入しましたが、
    食料や電池なども備えなければと
    思っています。どこにも大きな地震
    がきてほしくないです。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。恥ずかしながら自分で書いておいて黒の大きなビニール袋は買いに行ったのですが見つけられず、まだ購入しておりません。ペットボトルの水ももう一箱備蓄しておきます。もう地震も停電もこりごりです。

  3. さくらんぼ より:

    テレビで土砂崩れの現場が映っていましたが途中で工事は終わっていませんでした。山形では1年に何度か練習があります。今年は台風が次々にやってきて暑くてリンゴが焼けてしまいます。風が来ませんように!

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。札幌市では地震に備えた練習はないと思います。山形県は進んでいますね。昨年の悪夢を思い出します。台風も風も来ませんように! リンゴが焼ける被害もあるのですね。動物からも果物を守らなくてはいけないし農業もほんとうに大変だと思います。お身体に気をつけてください。

  4. ラズベリー より:

    あれから1年なのですね。関東大震災もそんなに遠くない頃に来ると思います。東京一極集中なので怖いです。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。私は湾岸を心配しています。東日本大震災級の津波が来たら壊滅では?と心配しています。

  5. ラズベリー より:

    9月5日に京急線と金子流通サービストラック運転手の故本橋道雄さんの衝突事故について、あまりにも衝撃だったのでお題とは異なることを書かせてください。
    金子流通サービスの本橋道雄さんの過失運転障害の疑いで捜査中のようですが原因は別にあり、わたくしの考えは過失はあるかもしれませんが過失比重が低いかなっと感じました。
    金子流通サービスには過失少しはあると思います。
    配送ルートの手順化して無かったなど。
    あくまでも運転に支障がある重大な疾病がない事が前提です。
    主原因は、トラック進入不可の【標識】が無かった事。道路が線路に交わる十字路が狭かった事。つまり、公安委員会、道路管理者の責任になります。ベテランの運転手が何度やっても左折や右折出来なかったのは標識と線路の十字路の道路が狭い→道路の幅が狭い為に切り替えせ無かったのです。
    地元民だけがわかっていても駄目で標識や案内は必要ですね。道路の幅は誰が決め、管理するのでしょうか。
    京急の職員は、13トンのトラックがこの狭い道路で線路前で切り替えしが無理でJAFとか呼ぶべきだった。非常停止ボタン作動と運転手が感知は?京急の過失も強いように思います。
    左折を試みるための後方確認を京急の職員に依頼しています。左折を何度も試みたが曲がり切らず断念。右折し線路内に進入→上手く切り替えして渡り切れない状態の中、遮断機が荷台を挟むかたちで降りてしまう。①障害物検知装置が感知せず、駅のホームや線路が近いのに減速していなかった可能性→京急の職員が非常ボタンを押す→②運転主に①、②の要因と伝わらず跳ねる。鉄道運転手が1年だからスキルがないと見なすのは尚早。運転手が減速していなかったというならば、次の駅までに何分までに着く為には何キロで走るという決まりがあった場合は、運転手はルールに従っただけということになります。京急の無理な運転間隔も調査要ですね。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    コメントをいただきありがとうございます。私も同感です。亡くなった運転手さんは懸命にトラックをどうにかしようと思っていたと想像します。110番して警察に誘導してもらいバックする方法はなかったのか?と残念に思います。ご冥福をお祈りしています。

  6. ラズベリー より:

    お題とは関係ないコメントなのにコメント下さりありがとうございます。障害物検知装置が働いて無かったのでは?と考えられる可能性として、到着600メートル前でブレーキがかかって無かった事だそうです。踏切到着前、90メートル前でブレーキ痕について時速100~120キロで走行だと難しかったと思います。停止信号機が見にくく、鉄道運転手が見落とした可能性もあるとの事ですが、時速120キロ走行中でも見えやすく①【信号の色を目立つものに変えるべき】だと思いますし、障害物検知装置については②【自動に停止作動】すべきだと思います。時速120キロ走行を余儀なくされてる鉄道運転手の判断に委ねるのは危険だと思いました。

    【札幌美容形成外科@本間賢一です】
    私も鉄道事業者が衝突を避けるためにもっと設備を改良する必要があると思います。自動車の自動ブレーキ技術があるのですから、電車はもっと緊急停止できるようにすべきです。街中を数分間隔で時速120キロ走行するのは大変なことだと思います。

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