昔の記憶
ぽっくり寺
2008年3月16日の院長日記に一度書きました。
私の親も、家内の親も、
「ポックリ楽にお迎えが来てくれたら一番いいのに…」
…とよく言っています。
私の親など、
「お前、もうダメになったら、苦しまないように…」
「こっそり…、楽にしてくれないものかねぇ…」
なんてことまで言います。
私:そんなことしたら、医師免許取り消しで、食べていけなくなる。
正直なところ、
私だって、コロリと楽にあの世へ行けたら幸せだと思います。
■ ■
家内の両親が一時期、奈良県香芝市に住んでいました。
私も、たまに香芝へ行っていました。
その時に、『ぽっくり寺』という看板をよく見ていました。
当時は、
さすが奈良には、おもしろい名前の寺があるものだ。
と思っていた程度でした。
実際に行ったことはありませんでした。
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Googleで『ぽっくり寺』を検索してみると、
①奈良県香芝市良福寺361 (元祖)
阿日寺(あにちじ)
②奈良県生駒郡斑鳩町小吉田1-1-23
吉田寺。よしだ寺と書いて、きちでんじ。
の2つの寺がありました。
おそらく、私が見た看板は
阿日寺(あにちじ)だったと思います。
■ ■
このお寺のご利益のせいかどうかわかりませんが、
家内の父は、64歳でポックリと亡くなってしまいました。
ゴルフ場のグリーンの上で、
突然の心筋梗塞で帰らぬ人となってしまいました。
平成5年4月6日のことです。
私は、家内の父にほんとうに申し訳ないことをしたと思いました。
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家内は、父が急逝してから数年間は、魂が抜けたようになりました。
『私が北海道にお嫁に来たから、お父さんの変化に気づかなかった』
『私がお父さんを早死にさせてしまった』
何を言っても、無駄でした。
立ち直るまでに、長い時間がかかりました。
今でも、わが家の居間には、笑顔の家内の父の写真があります。
■ ■
実は、家内の父の心筋梗塞には‘前兆’がありました。
亡くなる前日にも、体調不良で、職場近くの病院にかかっていたそうです。
胸部写真と心電図で異常がなく、
『病院、行ったけど大丈夫やった』
と、翌日早朝からゴルフへ行って、
そのまま倒れて、救急車で運ばれた病院では心肺停止。
死亡が確認されました。
■ ■
JRを退職後に、関連会社に勤務していましたので、
現職のまま死亡。
お葬式は盛大で、たくさんの弔問客にいらしていただきました。
お葬式は、香芝市の林法寺という、浄土宗のお寺で行いました。
①の阿日寺も香芝市の浄土宗のお寺です。
何か不思議な縁を感じます。
■ ■
私は、人間には、寿命という電池があって、
その電池の使い方に個人差があるのだと思っています。
家内の父も、病気一つしないで働く、パワフルな人でした。
今でも、声が聞こえてくるような気がします。
私は家内の父を尊敬していました。
この道一筋50年。
何でも知っている、保線のおじさんでした。
家内の父や私のように、ず~っと働いている人は
電池が早く消耗してしまって、
ある日突然電池切れになって、ポックリ逝けるのだと思います。
■ ■
家内の父が亡くなった時は、
香芝市の林法寺近くのサクラが、それはキレイに咲いていました。
私はゴルフはしませんが、
家内の父のように、好きなゴルフ場やキレイな場所で
キレイなグリーンやラベンダー畑の上で倒れて
ポックリあの世へ行けたら…と願っています。
64歳まで、あと10年です。
いつ亡くなってもいいように、身辺はキレイにしています。
■ ■
2008年から5年がたちました。
64歳まであと5年になりました。
私と同年代の医師が…
何人か亡くなりました。
正直に言ってショックでした。
あんなにいい先生だったのに…
■ ■
うちの奥さんいわく…
『あなたのように死ぬとか言っている人は長生きするゎ』
元気で長生きならいいですが…
迷惑をかけながら長生きはしたくないです。
ぽっくり寺にお願いに行く気はないですが…
健康に気をつけて…
こぎれいなじじで生きようと思っています。
私の願いです。