医療問題
荻野教授の裁判傍聴のお願い
山形大学整形外科の荻野利彦教授は、
手の外科の世界的権威です。
手の先天異常の、
OGINO分類は世界中に認められています。
整形外科医の中でも、
繊細な先生が多いのが
手の外科の専門医です。
■ ■
荻野教授は、
北大→札幌医大→山形大学と
整形外科一筋に生きてこられました。
先生の手術はすばらしく、
私の患者さんもお世話になりました。
動かなかった手が…
荻野先生の手術で
動くようになりました。
その荻野先生が…
山形の地で…
窮地(きゅうち)に陥(おとしい)れられました。
■ ■
私がさくらんぼさんと知り合うきっかけとなった事件です。
この事件については、
2008年6月に
シリーズで取り上げています。
山形大学の事件①
山形大学の事件②
山形大学の事件③
山形大学の事件④
山形大学の事件⑤
山形大学の事件⑥
■ ■
事件の概要は次の通りです。
2005年5月一人の女性患者さんが、
下肢の手術のために、
山形大学病院の皮膚科に入院しました。
主治医は皮膚科の先生です。
手術を引き受けて、
入院の指示をした皮膚科には、
形成外科専門医はいませんでした。
経緯はわかりませんが、
整形外科に所属する形成外科専門医が手術を執刀しました。
■ ■
手術の結果が思わしくなく、
結果的に手術前より状態が悪化しました。
その事実については、一人の形成外科医として、
患者さんに本当に申し訳なく思います。
皮膚科に入院していた患者さんは、
2005年8月山形県外の病院に転院。
2006年 9月患者側が、山形地裁に証拠保全の申し立て。
2006年11月27日 山形地裁、証拠保全の決定。
事件は山形地裁の証拠保全命令が出て、
初めて明るみに出ました。
■ ■
2007年6月山形大学医学部附属病院長は、
荻野教授に対し整形外科科長解任および診療中止の処分。
2007年11月山形大学教育研究評議会が
荻野教授に対し7日の停職処分決定をしました。
この事故で整形外科の荻野教授が処分されました。
それは手術を執刀した形成外科専門医が
整形外科の所属だったからです。
荻野先生は診療も手術もできなくなりました。
■ ■
事故の当事者である、
患者さんにはほんとうに申し訳なく思います。
事故原因は、
山形大学が、
形成外科という診療科を作らなかったことにあります。
処分されるべきは、
医学部長であり、
附属病院長です。
医学部長と病院長は…
荻野先生に罪を被せました。
■ ■
荻野先生を支援する…
山形大学の有志の方が…
山形大学職員組合のお力を借りて、
荻野先生の処分は不当だったという…
裁判を山形地方裁判所に起こしました。
今まで9回の公判がおこなわれました。
2010年2月23日(火)午後1時30分から…
山形地方裁判所で…
第10回の公判が行われます。
これが最終審理になる公算が高いのです。
勝訴を勝ち取るために、
多数の方々の傍聴をお願いいたします。
私とさくらんぼさんからのお願いです。
“荻野教授の裁判傍聴のお願い”へのコメント
コメントをどうぞ
本間先生本当にありがとうございます。
山大には北大のように 独立した科として形成外科がありません。形成外科医は一人だけで、整形外科に属していて、いろんな科から依頼されて手術されておられるようです。
嘉山医学部長は4月から国立癌センターの理事長に就任されるそうですが、嘉山先生がいらっしゃるうちに山大に形成外科学教室を作って頂きたかったし、東北で形成外科がないのは秋田と山形大だけなのでどうか力のある嘉山先生なら作って下さると思っていました。荻野先生は本当に 患者さんの事を第一に考えてくださる素晴らしい名医です。悪とは無縁のけれども どこか素朴でおごり高ぶらない教授です。私が思っている以上に裁判は長く その途中にも 患者にとってはマイナスになる良い先生が他の病院に移られたり、北大から来られた准教授で副診療科長だった高原先生が仙台の病院に昨年10月に移られ山大を辞められた事は荻野先生にとっても寂しいことだったと思いますし、私たち患者もがっくりでした。
23日は体の調子の良い山大の患者仲間も何人か傍聴してくれます。
荻野先生、私たち患者は最後まで 荻野先生を応援します。頑張ってください。
本間先生本当にありがとうございました。
ご恩は一生忘れません。