昔の記憶
おばあさんの新聞
平成26年10月15日、朝日新聞朝刊、天声人語です。
早くに父が亡くなり、家には新聞を購読する余裕がなくなった。好きなのでなんとか読み続けたい。少年は新聞配達を志願した。配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと考えたのだ。
▼元島根県出雲市長で衆院議員を務めた岩國哲人(いわくにてつんど)さん(78)の思い出だ。日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストの大学生・社会人部門で今年、最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」。
▼小学5年の時から毎朝40軒に配った。読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。中3の時、彼女も亡くなり、葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくてとり続けていたのだ、と。涙が止まらなくなった……。
▼岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語ってこなかった。高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを表す好機と思い、応募した。「やっとお礼が言えて喜んでいます」。きのう電話口で岩國さんはそう話した。
▼70年以上、朝日新聞を読んできたという。市長時代には本紙オピニオン面の「私の紙面批評」欄を担当し、当時の政治に関する社説を厳しく批判したこともある。きのうも「思い込みや独善が一つの欠点」と、本紙への苦言を頂戴(ちょうだい)した。
▼新聞週間がはじまった。失った信頼を取り戻すため、身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする。岩國さんの叱咤(しった)を肝に銘じつつ。
(以上、朝日新聞より引用)
■ ■
久しぶりに天声人語の引用です。
2014年は朝日新聞試練の年です。
私は自分が大変だった時に、
朝日新聞に助けてもらいました。
購読をやめるつもりはありません。
今まで通り朝日新聞愛読者です。
今日の天声人語はいい話しです。
■ ■
岩國哲人(いわくにてつんど)さんが、
そんな苦労人だとは知りませんでした。
小学5年の時から毎朝40軒はすごいです。
出雲市だったら、
かなり広範囲だと思います。
マンションで40軒配るのとは違います。
■ ■
中3の時、
彼女も亡くなり、
葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。
「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくて
(新聞を)とり続けていたのだ、と。
涙が止まらなくなった……。
■ ■
私がこうして院長日記を毎日書けるのは、
国語が好きになったからです。
NHK中学生の勉強室の小田島哲哉先生、
高校の時に、
『本間、新聞を読め』
…と言ってくれた同級生のおかげです。
若い人にも、
もっと新聞を読んでほしいです。
毎朝、新聞配達をしてくださる方に感謝しています。
“おばあさんの新聞”へのコメント
コメントをどうぞ
うちは二つも新聞をとる余裕がないので地方紙ですが、いいお話ですね。
字が読めなかったのに新聞をとってくださってたとは。
先生と同じで私も国語が好きです。
文学部を卒業してます。
ですが、父に言葉の意味を頻繁に聞き、お前の授業料はドブに捨てたも同然だと嘆かれています。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
コメントをいただきありがとうございます。お嬢様が傍にいらしてお父様はお幸せです。言ってみたいだけだと思います。
素敵なお話ですね。我が家は以前は農業新聞でしたが、今は山形新聞だけです。 占いとTV番組とお悔やみだけでなく、政治欄も見るようにとは思っているのですが、、、。 今日は朝早くからラフランス選別で昼休みもしないでがんばりましたがあと200コンテナくらい残っていてへとへとです。
【札幌美容形成外科@本間賢一です】
へとへのにお疲れなのにコメントをいただきありがとうございます。200コンテナの量が最初はわかりませんでしたが、だいたい想像がつくようになりました。収穫期はほんとうにお疲れ様です。