昔の記憶
車の運転
私は若い頃…
車の運転が好きでした。
最初の車は…
先輩から無料(ただ)でいただいた、
ドアの開かないサニーでした。
北大病院の研修医で給料は日給3,300円程度、
月給が手取り99,000円程度でした。
■ ■
助手席に乗った家内は(当時は結婚前)…
内側からドアを開けられません。
私が運転席から降り…
助手席側に回って…
MKタクシーのドライバーさんのように…
外からドアを開けていました。
■ ■
貧乏でお金もありませんでしたが…
人生で一番しあわせな時代でした。
その先輩からいただいたサニーは…
実によく走りました。
写真部の旅行で…
札幌⇔稚内を往復したこともあります。
釧路にも行きました。
■ ■
当時は若かったので、
何時間運転しても…
あまり疲れませんでした。
子供が小さかった頃は、
道内どこへ行くにも…
私が一人で運転していました。
■ ■
いつの頃からか…
はっきりと覚えていませんが、
車の運転が苦痛になってきました。
今から思えば…
少しずつ眼瞼下垂(がんけんかすい)になったためです。
信号を見上げたり、
夜間の運転が辛くなりました。
■ ■
疲れるので…
しばらく走ると…
家内に運転を交代してもらいました。
冬道とか…
峠道とか…
難しいところは私が運転し、
平坦な道は奥さんの担当になりました。
■ ■
昨年12月1日に、
眼瞼下垂症手術をしていただき、
10ヵ月になります。
車の運転が楽になりました。
(運転を)代わって…
…と奥さんに言わなくなりました。
■ ■
若い頃に比べると、
車を運転する頻度はぐっと減りましたが…
手術をしていただいてから…
札幌⇔函館も往復できるようになりました。
ちょっとした目の開き方で、
ずいぶん違うものです。
大竹尚之先生に感謝しています。
“車の運転”へのコメント
コメントをどうぞ
先生が 眼瞼下垂の手術をされたと 聞かなければ、お会いしても まったくわかりませんでした。私はHPで以前の先生のお顔を 拝見していたので、爽やかになられたと思いました。 私も 18歳でクラスで一番早く免許を取りましたが、初めて乗った車は日産サニーです。 私は 今 運転も長い時間車に乗ることも 腰と背中が痛くて 円座クッションを使っても 大変になりました。 でも凄く体調の良い時に富良野に行けた事が 今年の一番の嬉しかった事です。目のくっきりした本間先生にもお会いできました。 みなさん運転には 気をつけてくださいね。
はじめてコメントさせていただきます。
先日、静岡の病院で眼瞼下垂の診断を受けてから、こちらのブログをよく読んでいます。とっても参考になります。
別の病院でもみていただいて、しっかり納得してから手術を受けようと思っています。