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形成外科医になった理由

 昨日、家内の昔の写真を出して自分の若い頃を想い出したので形成外科医になった理由を書いてみます。
 私は父が病院勤務の薬剤師だったため、小さい頃から身近にお医者さんがたくさんいました。小学校2年生までは手稲金山にあった三菱砿業の結核療養所に父が勤務していました。その療養所は現在も手稲ロイヤル病院として残っていますが、当時は病院の前に芝生と池があり小奇麗な病院でした。子供の頃は近所のお医者さんの子供たちとよくその病院へ遊びに行っていました。
 漠然と医師になろうと考えた始めたのは、おそらく中学生の頃だったと思います。高校に入って自分の実力が医学部とは遠くかけ離れたものだと知りましたが地道に努力しました。他人が遊んでいる時も勉強していたように思います。
 一浪して札幌医大に入った頃は、実習で血を見たらどうしようと思っていた位で、外科医になるとは夢にも考えていませんでした。医学部の5年生・6年生となり臨床実習で各科を回り、その頃にはどうも自分には内科医は向いていないと思うようになりました。血を見ると最初怖かったのですが、慣れてくると血を見て怖いよりも、手術で治る方が興味深くなりました。
 実習で手術を見学していた頃です、顔を縫うのにどう見てもキズが残りそうな縫い方を見ました。『病気が治ってもキズが残ったらこの人の人生はどうなるのだろう?』と思って、図書館で形成外科の教科書を見つけました。当時、札幌医大には形成外科はなく講義もありませんでした。仲が良かった同級生の福岡君に形成外科ってどうだろうと話すと『僕も興味があるので北大に話を聞きに行ってみよう』ということになりました。
 札幌医大の学生が北大に見学に行くのは少し抵抗があったのですが、当時、北大形成外科の医局長だった杉原平樹先生(後の形成外科教授、北海道大学病院長)は快く引き受けてくださり、一週間の実習を受け入れてくださいました。
 一週間の実習が終わり、病棟チーフだった本田耕一先生(現、時計台記念病院院長)と他のスタッフがススキノの三光舎というすき焼きの店に連れて行ってくださいました。
 札幌医大を卒業後に私は北大形成外科に入局し、大浦武彦教授の門下生になりました。結果的に北大に行ったのは私の人生にとってとてもよい結果になりました。大浦教授は北大出身者も札幌医大出身者もまったく差別なく教育してくださいました。現在、私が一人前に手術できるのは北大形成外科の諸先輩に手取り足取り教えていただいた結果です。
 人と人の出会いというのは偶然ですが人生に大きな影響を与えます。私は幸運にもとても素晴らしい指導者に恵まれました。どの道でもそうでしょうが、特に技術者である外科医はどの師匠につくかで技量が決まります。私は教えてくれ精神的な支えになってくださった師匠にいつも感謝しています。

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